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江戸の画法書 -はじめに-

 大学院の研究室にいたとき、ちょっとしたきっかけで日本絵画の画法書(技法書)の収集をすることになりました。これは自発的ではなく、仕方なく始めたことだったのですが、なんやかやでこの作業、2009年ころから細く長く10年以上続いています。

研究資金としては、芳泉文化財団助成金、科学研究費などを取得しています。

江戸の画法書


江戸時代の画法書なんていうとすごい秘伝が書かれているように思う方がいらっしゃるかもしれませんが、使われなくなってしまって詳細のわからない画材がいくつかあるものの、今の日本画家から見ればそれほどびっくりする内容は書かれていません。(たまーにありますが)。今のように美術大学や絵画教室など開かれた場で日本画が教えられていたわけではありませんので、絵を描くということ自体が専門的で閉鎖的なものだったのだと思います。ただ「日本画」という概念がほかの多くの日本文化と同様に明治以降にできたものですので、江戸時代の画法書を読み解くと、ちょっと今とは違った世界観が広がっていきます。

私はもともと絵の良しあしと画材や古典絵画の知識は必ずしも正比例しないという考えの持ち主でしたので、なかなかこの画法書の世界に飛び込むことには二の足を踏んでいました。しかし、しぶしぶ飛び込んでみると、私自身の制作に使う画材の選択肢もおのずと変化していったのです。

私が研究室在籍中に整理した画法書は下記のとおりです。

【江戸中期篇】
・ 土佐光起『本朝画法大伝』1617年(元禄5年)
・ 狩野永納『本朝画史』1693年(元禄10年)
・筆者不明『御絵鑑』1700年(元禄13年)
・ 貝原益軒『万宝秘事記』1705年(宝永2年)
・ 林守篤『画筌』1712年(正徳2年)
・ 西川祐信「画法彩色法」『画本倭比事』1742年(寛保2年)
・ 円満院門主祐常「秘文録」『万誌』1764年頃(明和4年)
・ 大江玄圃 円山應挙「学翼」『問合早学問』1774年(安永3年)
・ 建部凌岱『漢画指南』1779年(安永8年)
・ 窪俊満『画鵠』1783年(天明3年) 


【江戸後期篇】
・ 宮本君山『漢画独稽古』1807年(文化4年)
・ 桓齋 鹿田孝清『画伝幼学絵具彩色独稽古』1803年(天保5年)
・ 著者不詳『絵本彩色指南』1840年(天保11年)
・ 椿椿山『椿山書簡』1845年(弘化2年)- 1846年(弘化3年)
・ 葛飾北斎『画本彩色通』1848年(弘化5年)
・ 著者不詳『狩野氏小伝』年代不詳

これ以外に『万宝全書』1615年(元禄7年)、王概 他『芥子園画伝』1748年(寛延元年)や平賀源内撰 『物類品隲』1763年( 宝暦13年)、を入れたかったのですが、そこまでに至らず今後の課題としています。

ともあれ江戸の画法書は『本朝画法大伝』を皮切りに、江戸中期の出版ブームに乗り、数多くの画法書が刊行されました。またそれらも時代の変遷とともに、情報量も多くなり、本の大きさも大本から半紙本へと変化し、時代の息遣いをひしひしと感じさせてくれるのです。

画せん

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画法書の分類

画法書としてひとくくりに列挙しましたが、いくつかに分類することができます。

①画法を説明する専門書
②随筆・手紙
③商品目録・百科事典

①は人にわかりやすく伝えようとするもので、今我々の思うところの「画法書」ですので、画材やその使用法を体系的に知ることができます。先ほどのリストでいうと、土佐光起『本朝画法大伝』1617年(元禄5年)、狩野永納『本朝画史』1693年(元禄10年)、筆者不明『御絵鑑』1700年(元禄13年)、林守篤『画筌』1712年(正徳2年)、西川祐信「画法彩色法」『画本倭比事』1742年(寛保2年)、大江玄圃 円山應挙「学翼」『問合早学問』1774年(安永3年)、建部凌岱『漢画指南』1779年(安永8年)、窪俊満『画鵠』1783年(天明3年)、宮本君山『漢画独稽古』1807年(文化4年)、桓齋 鹿田孝清『画伝幼学絵具彩色独稽古』1803年(天保5年)、著者不詳『絵本彩色指南』1840年(天保11年)、葛飾北斎『画本彩色通』1848年(弘化5年)がそれにあたります。

②は覚書としてとどめたり、他者からの質問に答えたものですので、体系的に語られることはありませんが、本音や少し変わった内容が語られることがあり、画家の立場から読むと面白く読むことができます。円満院門主祐常「秘文録」『万誌』1764年頃(明和4年)、椿椿山『椿山書簡』1845年(弘化2年)- 1846年(弘化3年)などがそれにあたります。

③は貿易や物品会の目録、辞典なので、著者が絵師ではなく本草学者や国学者であり、あくまで「モノ」として画材が記されます。『万宝全書』1615年(元禄7年)、貝原益軒『万宝秘事記』1705年(宝永2年)、平賀源内撰 『物類品隲』1763年( 宝暦13年)などがそれにあたります。客観的に読み解くのにはよい史料となります。

このように画法書といってもそれぞれ立場が違いますので、それを念頭に読み解く必要があります。

なぜ画法書か

画法書の研究は近代美術史から取り残されてきました。それは近代の美術史家の関心が画史(作家の伝記)や画論にあったからです。また実際の画材やその使用法は画家でないとわかりません。最初に記したように、日本画材は明治以降大きく変わりました。今ある画材の立場がどのようなものなのか正しく理解し、画家がそれを選択することにどのような意味があるのかを考えながら表現する必要があります。私自身の意識が変わったように。たとえ同じ画材を使用するにしても、理解しているか否かでは全く意味が違うのです。

研究で取り上げた画法書の一部は下記のデータベースで公開されています。

参考文献
染谷香理「【資料】日本画技法書便覧〔江戸中期~幕末篇〕」『東京藝術大学美術学部論叢第12号』2016年
染谷香理『日本画画材関連史料翻刻集Ⅰ(江戸中期篇)』科学研究費補助金 基盤研究(C)経験と感性の継承―技法書データベースの構築報告書 2018年
染谷香理『日本画画材関連史料翻刻集Ⅱ(江戸後期篇)』科学研究費補助金 基盤研究(C)経験と感性の継承―技法書データベースの構築報告書 2018年


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