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「直感力」信じていますか?

こんにちは。今日のココロのおやつは「直感力」です。

「直感」は多くの人が持っている自然な能力なのですが、
自分の「直感」をどれだけ信じられるか、
自分の「直感力」はどのようなものか、
最近そんなことをあらためて考えるきっかけになる出来事がありました。

先日、急な大雨で帰宅途中に乗っていた電車が止まってしまい、電車の中で缶詰めになりました。
車掌さんは「運転再開の予定は今のところ立っていません。」と。
電車は駅に止まっていたので、車掌さんは下りて他の路線を使って迂回する案内をしていました。
私も迂回するルートをスマホで検索したのですが、自分が下車する駅まで通常ならあと10分程度のところを、迂回ルートだと25分かかる。
同時に雨雲レーダーを見ると、あと15分で雨は弱まりそう。
どうしようか。
雨雲レーダーを信じて、雨が弱まってこの電車が動くことを信じるか、
遠回りでも迂回して向かうか?
いや、遠回りしてその迂回の電車も途中で止まったら・・・
色々な考えが頭の中を渦巻いていました。
スマホで交通情報について他の人のSNSの投稿も覗いてみたり。
とにかく、電車が急に運転停止していることで、本当にたくさんの情報がスマホでみることができるのだなあ、とあらためて思いました。

多くの情報があることは便利なのですが、この多くの情報が自分の判断を鈍らせていることにも気がつきました。
電車の運行情報、雨雲レーダー、天気予報、SNS・・・
ここで一旦落ち着いて、自分に「どうしようか?」と問いかけて、
最後の判断は、『このままこの電車の中で待つ』ということでした。

その後少ししたら運転再開し30分後には下車駅に無事到着。
すっかり雨も上がっていて、さっきまでの土砂降りの雨が嘘のようでした。
結果として、いつもより30分程度時間が多くかかりましたが、混乱も問題もなく帰宅することができました。

この経験から自分の「直感」を信じることの大切さについてあらためて考えていました。

私は学生時代や社会人になって間もないころまでは、まだ携帯電話さえ普及していなくて、急な天候の変化も空模様や空気の感覚で自分で予感していました。

こんな出来事も思い出しました。
携帯やスマホがなかった社会人になりたてのころ、
友人と渋谷駅で待ち合わせしていたのですが、時間になっても友人が来ない。
10分、20分、30分待っても来ない。
公衆電話から家に電話してみたけど出ない。
そのうち、何か急な用事ができたのか?
来る途中に事故か何かにあったのか?
もしかして、約束を忘れたのか?
すっぽかされたのか?
なんて、友達を悪者にしてしまうような酷い想像までし始める始末。
ハラハラ、イライラ、頭の中に色々な想像が渦巻いていました。

そんな時、一旦深呼吸して心を落ち着けると、頭の中にふと言葉が響きました。
「友達を信じよう。きっとここに来る。」

この言葉は自分の直感力が決めた自分の言葉。

しかし、もう一方で別の自分が、
「えー、でももし来なかったら・・・」なんて言い出して、
自分の中で少し葛藤してまた混乱。

もう一度落ち着いて考えて、
「いや、大丈夫きっと来る。友達を信じよう。」
「あともう30分待とう。それでも来なかったらまたその時考えよう。」
自分の直感を信じよう!

友達は約1時間近く遅刻したけど、ちゃんとやってきました。
友達は「ごめんなさい。」と謝り、向かう途中に私に渡したかったものを忘れたことに気がついて取りに行ったからだそうです。

「あー、友達を信じてよかった。しかも、私に渡すためのものを取りに行ってくれたんだ。」
1時間待って不安や苛立ちがあったけど、友達を信じ、そしてその自分を信じ、自分の「直感力」を信じてよかった。

スマホでいつでもどこでも連絡も取り合えて、色々な情報が飛び交う現在では体験できない出来事ですが、
今と比べると自分の「直感」を大事にして判断して行動する場面は多かったのだと思います。
そんな過去の経験のおかげで私の「直感力」も鍛えられたのではないでしょうか。

最近、私はApple Watchを卒業しました。
Apple Watchは体の状態や運動の経過、メールや電話の着信、アラーム、音楽再生、手洗いの指導まで本当に何から何まで伝えてくれたし、Siriが話して何かを教えてくれるとっても便利なツールです。
しかし、通知されてそれに従って行動する自分にふと疑問が湧いてきて、一旦辞めてみることにしました。「直感力」を鍛えるために。

「直感」は過去の経験や知識から得た無意識の中から湧き出るもの。時には最も正しい選択をくれる大事なものです。
本来の自分が持つ感覚や本能、ひらめきをあらためて大切にしたいと思います。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました😊