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こどもとうみ 旅小の子どもたちからの名言「友だちと仲間の違いについて」

 前回「自尊感情」の育ち方についてこれから少しずつ書く!と言ったばかりですが、この「自尊感情」という文字が実は好きじゃなくて・・・という話を私の大好きな人と何時間も話を重ねた結果、もっとしっくり腹落ちする言葉に巡り会いたいと願っている私です。でも、「自尊感情」というものを育てるのは誰なのか?というと「自分一人では育つことがなく、身近で大切な人がそれを育ててくれる」というバックグランドがとても気に入っているのは、変わりません。が、何せこの漢字ヅラが好きじゃない。なので、もうちょっと言葉探しをしていきたいと思っています。

 そんな言葉探しをしている中で、子どもたちから学んだ名言や、場面を短めなエピソードを載せて本を作ろうともしています。Telacoyaの幼稚園や小学校での場面や卒業生からのエピソードなども頂きながら。私はこの仕事について40年。たくさんの子どもたちから、たくさんのことを学ばせてもらいました。子どもたちとの日々が、私の引き出しをたくさん増やしてくれました。私は、大人が先生ヅラして育てるなんて同じ人間として烏滸がましいとずっと思っていて、だから「先生」と呼ばれることも好きじゃないし、今も私の運営する幼稚園や学校では名前で呼んでもらっています。大人はちょっとだけ子どもたちより、長く生きてて、経験が多いだけ。だから子どもたちが困った時に出来るお手伝いはたくさんあるけど、出来るだけ余計なことはしないようにすることが大事!を心がけています。これ難しいけどね。

 さて本題!
 旅小の子どもたちから出た名言「友だちは楽しいことや好きなことを一緒にやる人だけど、仲間は楽しいことだけじゃなくて苦しいことや嫌なことも一緒にやる人。友だちは目標を持たなくてもなれるけれど、仲間は同じ目標に向かう人。」

 これを小学生で理解でいている旅小の6年生は、そこらの大人よりも深いところを理解しているのではないかと思うのです。しかも、これを言ったのは5年生の時だったな。

 その場面は、当時「1年生同士みんなで仲良くしたいのにしてくれない」という悩みを持っていた子がいて、それをみんなに相談した時のこと。
 先輩たちからは「なんでみんなで仲良くしたいの?」「なんでみんななの?」「仲良くってどういうこと?」という質問が出て、1年生は「???」要は遊びに入りたいのに、入れてくれないことがあり、それについての悩みだったのだが、先輩たちは事実を知るための質問を1年生たちに重ねた結果、「その遊びは3人だから楽しいっていうのもあるよね」「でも入れてって言ったのに、入れなくても勿論いいんだけど、入れなかった時に、入れてって言った人の気持ちも考えたかどうかは大事」「でも、入れてって言ったからと言って絶対に入れなきゃいけないわけじゃないよね」「でも、入れてもらえない人の気持ちを考えると、どうするのがいいだろうね?」と言った質問や言葉を重ねてくれていました。「仲良くしなくてもいいということと、協力しなくていいということはまた違う」などとも話してくれて・・・なぜかというと、当時、まだ幼さが残る1年生はその休み時間の問題を授業中にも持ち込みがちで、授業の時間の中でも協力しない!と言ったような引きずり方をしたいたのです。先輩たちは、言葉を尽くして一生懸命話してくれるのだけど、1年生にはまだなんとなく届いていない様子。すると「ま〜まだこの学校に入って数ヶ月でしょ?まだまだこれから分かることあるでしょ!時間がかかるよ。待とう!」とも。笑

 そして「あのね、旅小は学年だけで仲良くする必要もなくて、1年生の中で入れないことがあれば、他の人に相談したり、他の学年と遊んだっていいんだし、1年生だけに拘る必要ないからね。困ったことあれば言ってね」という話になっていきました。

 最後に「旅小では、みんなで仲良くする必要はないけれど、何かやる時はみんなで協力し合うんだよ。それは仲間だからね!」と。

 その後、学校の毎日を重ねる中で、旅を重ねる中で、目標に向かって時間を重ねる中で、本当にいろんな気持ちになってぐちゃぐちゃになって、苦しい時も、達成感を一緒に感じた時も、妬んだ時も、その時感じたたくさんの感情を入れたミックスジュースになった後、やっぱり友だちと仲間は違うという話が出た時に、この名言が生まれました。

 同じ釜の飯を食う仲間として育ちあっている子どもたちの感性に感動。当時の1年生たちも今ならきっと分かっているこの言葉の意味。これが代々続いて行くのだろうな〜と思うと、私が子どもたちを信じる力がまた強くなったと思えます!

 

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