【文学フリマ東京38】人間が人間に触れるのには、全く以て道徳の限界があるのよ。
5月19日の文学フリマに出店します。浅間香織です。
【ブース:D-24】です!
そこで読める小説のセリフを紹介します。
「 …… 彼の手が、……秋山君の手が触れたのは、手だった。……この手が触れたのは、意思だった」
「…………まだ、……まだ、……現在の国際秩序に辿り着いて、人類は一世紀も経ていない。一国の豊かさも平衡しないまま、他国を含めた平衡に至れなくても仕方がない。それでも世界は改善している。……みんながとは言わない、でも多くの人はそれを信じて、世界がよくなると信じて、苦しいことを騙しながら、それでも頑張って生き抜いている」
「人は信じるに値する。人を信じてきた、だから私はここにいる。人に愛を信じてきた。……だから、あなたが一つの究極の形だと言った、この状況を私は作り出せた」
「何か正義や善行があったとして、それを果たして、あなたの人生に意味はあるの? 一時の理想を全うすることは、実生活と未来に寄与するとは限らない。大抵はしない。硬化した人間は救われない。」
「……中心性の高いネットワークなんて長続きしない。……だから私はここに来た。この国は結局のところ行動を拘束しない。…情報基盤が貧弱で、中央指揮系統が強くは確立していないから。他所の先進国ではそうは行かない。……しかし末端ノードには、最低限の倫理が遍いている。進んで他人を損なわない。自罰的で仕事に誠実。……命令という拘束が無い状態で危機に直面するノードは、須らく自由の裁量を以て、自らの意志で善処する。……いずれ分かる。ここに超堅牢性がある。結局のところこのネットワークが最も生き永らえると」
「近代世界で信じることは死を招く。個人を信じることは生から遠ざかる」
「愛されていない人間にとって、形而上学は魔神が与える聖杯なのよ。唇に当てられた人間にそれを拒む権力は無い。……あなたが言う通りよ。幸せを諦める人間がいて、苦悩を受け入れる命があって、初めて別の人間が幸せになる。」
「……古い言語学が、統語法の共通認識を与えていなければ、きっと人間はまともな条文を書いて、関係を築くことも危うかったんじゃないかな。いつの時代だって、どんな倫理の中であろうと、誰かは不心得者がいたんだよ。」
最後の台詞を口にする青年が主人公の長編物語は↓から読めます。
トルストイの『戦争と平和』と韻が踏めるのは偶然か必然か。
文フリで販売する小説『カラマーゾフの姪:ガチョウたち』は下から試し読みできます。
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