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【織々ノ記】#33 継承とメルカリと古本

2023年4月5日

 今日バイト先の塾に新しい講師が入ってきた。昔担当していた元生徒の子だ。しかも高校受験のときに担当していた生徒だから、一層の驚きと感慨がある。

 大学生のバイトは、本来ならば長くても4年、院に進む人でも6年ほどしか続けないものだと思うのだが、自分の場合、院浪(就活浪)の1年があるので今年で7年目になる。その甲斐あって、中学生の頃から知っている元生徒が、今度は講師となって戻ってきた姿を見ることができた。

 自分も生徒として通って、大学生になってからも講師としてこの塾に関わり続けている身だ。講師のポジションが脈々と受け継がれていく様子は、教室運営の面でも良い循環なんじゃないかと、素人ながらに思う。元教え子のその講師の教え子が、また講師として戻ってきて……、というふうに続いていけば、バイトの身ながら嬉しいものである。

 昨日の日記にも書いたが、今年はサークルの新歓が以前と同じ形式で行なわれており、サークルの次世代への期待も高まっていることだろう。自分が所属していた2つのサークルのうち、文学サークルは廃部となってしまったが、弓道サークルの方は今年も活発に新歓を行なっているようである(新歓用のインスタグラムで様子を見ている)。今後何十年も存続できるよう陰ながら祈る次第である。


 今日の昼間はメルカリに出品する用のTシャツの写真を撮影したり、梱包の準備などをしたりしていた。メルカリはてんで利用したことがないのだが、通販でTシャツを購入した際に誤って2枚ずつ購入してしまい、余りの未使用品が発生してしまったのだ。どうせ処分するなら、メルカリに出品して小銭を稼ごうという魂胆である。

 服をはじめ、あまり中古で買うということがないのだが、こと本に関しては、自分の書庫の大部分を古本が占めているほどである。

 もちろん新刊のつやつやとしたカバーの輝きもいいが、古本の日焼けした紙の色と匂いはたまらないものがある。書き込みがある本などは前の所有者の息吹を感じられて、なお良い。蔵書印が押されてる本に巡り合ったときには、よくぞわが蔵書に入ってくれたという感慨すら覚えるものだ。

 いつか自分の本を手放さざるを得ないとき、その本を手に取ってくれた次なる本の主も同じように感じてくれたら、それは私自身の嬉しさであり、また、その本の誉れでもあろう。

(了)