見出し画像

【織々ノ記】#86 茶道と和服

2023年5月28日

 今日の午前中は久しぶりに茶道の稽古。

筆者近影
紫陽花
未央柳と蛍袋
平水指

 一応5月までは袷の季節だが、今日はそれでは蒸し暑く、時折吹く風が格別に涼しく感じられた。来週から単衣の季節になるので、幾分暑さもマシにはなるだろう。

 そもそも男の着物は女性のそれに比べると纏う生地の量が断然少ないので、まだ涼しい方ではある。着付けも女性の方がよっぽど大変で、確かにこれでは和服人口が減ってしまうのも宜ならんといった感じだ。

 ただ個人的に和服の似合う人は、男女問わず素敵だなと感じるので、もっと沢山の人に和服を身に着けて欲しいと思うこの頃である。


 七五三や成人式と言った伝統的な行事では、多くの人が和服を着るが、何故かそれ以降のライフステージではもう縁のない人が多い。

 何なら観光客として渡日した海外の方々の方がよほど和服に慣れているのではないかと思うほどである。確かに洋服に比べると不便な点は無いわけではないし、保管の不便さや料金設定による手の出しづらさを考えると、普及しない理由は理解できる。

 それでも、和服というものは日本人の直感として馴染み深いものと思われるのだ。ここで、私は日本人のあるべき姿だとか、古の文化がどうとか右巻きの発言をしたいわけではない。

 これはただ個人的に、なぜ和服を着るのかともし問われれば、日本人だからだと答えてしまうだろうなと思ったからに過ぎない。決してこれを他人に強制しないし、これが日本人の理想の姿だとも思わない。各々が各々の好きな格好をすればいいだけの話だ。

 もっと沢山の人に和服を着て欲しいといったのは、単にファッションとして似合う似合わないがある中で、和服が抜群に似合う人が、あるライフステージを越えたら和服と全く縁のない生活を送ってしまうのが、なんだかもったいないぁと思えたからだ。


 少し言い訳じみた弁明を書き連ねて、分かりづらい文章になってしまった。日記は思いつきで書いているとは言え、もっとわかりやすい=論旨の通った文章を書けるように努めないといけない。今日は時間が無いので、推敲せずこのまま駄文を放流する。

(了)