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【織々ノ記】#84 noteとフィードバック

2023年5月26日

 今日は立て続けに嬉しいことが起こった。ひとまずnote関連のことから。

 昨日書いた文フリの振り返り記事が思っていた以上に反響いただいているようで、大変ありがたい。また、記事内で引用させていただいた「履歴書籍」さんにも認知してもらい、氏の良記事まとめにも取り上げてもらった(記事が引用されると相手方に通知が行くことを私はすっかり忘れていた。下手なことは言えないものだ)。

 その記事内で私の記事を「総合的によくまとまっている良記事」「過去1の優良記事かもしれません」と格別のお褒めをいただき、もう恐縮の限りである。

 今までnoteの記事はいいねこそ何個もいただいてきたが、具体的な評価や感想はほとんどと言っていいほどもらってこなかったので、このような形でご紹介いただき誠にありがたく、そして嬉しく思う。

 前回の文フリのまとめ記事は他の人の参考にもなるようにと考えすぎた結果、大仰なことを言おうとしたり、無駄に風呂敷を広げすぎたりしてしまって、とても閲覧に耐え得るようなものではなかった。

 今回はそれらを反省して、もう自分が言いたいこと・感じたことをあるがままに書いたつもりだった。もしかしたらそれが却って分かりやすさに繋がったのかもしれない。


 ここ最近はずっと日記という形でnoteの執筆を続けてきた。でも、それはまるでひたすら壁に向かってボールを投げて一人でキャッチボールするかのように、孤独な営みだった。

 文フリで販売した作品にしたってそうである。一応感想フォームを用意したが、まだ1人からしか感想をもらっていない(購入した人全員に感想を強いるようなことは絶対やってはいけないことだし、気軽に感想を言える雰囲気を醸成できていない自分が悪いのだが)。

 「誰かに見てもらわなくても構わないからとにかく書き続ける」と言ってみせるのは簡単だが、実際にはなかなか他人からのフィードバックがないと続けることは難しいと最近感じている。

 もちろん、その心意気で創作活動を続けている人もたくさんいるだろう。ただ、人それぞれに走り方があって、自分に合った走法を身に着けないとゴールまで走り切ることはできないのだと思う。

 私の場合、やっぱり自分の文章に対するフィードバックは欲しい。暗闇の中をひた走る自分に伴走して、ゆくべき道を照らしてくれる存在が欲しい

 それは一つには自身の内なる声だろうし、一つには遠い過去からの呼び声なのかもしれない。でも、一番効果を発揮する、すなわち一番明るく照らしてくれる存在は、読者の声だと思う。

 繰り返しになるが、感想を無理強いするようなことがあってはならない。目指すべきは、お互いに感想を言ったり、高め合えたりする仲間を作ること、そういう人たちが集まれる環境を作ることだろう。

 先の文フリまとめ記事でも言及したが、SNSのフォロワーやファンの方々とのつながりが無ければ、これから先走り続けることはできないと、改めて強く感じた。

 「創作」は孤独であっても、「創作活動」は孤独である必要はない。


 はてさて、もう一つ嬉しいことがあったのだが、これはまた後日にでも。

(了)

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