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🌱『不登校でも大丈夫』という言葉のズレ

『不登校でも大丈夫』
という言葉、よく聞きませんか。

長男、次男とも不登校を経験した今の私は
次男は真っ只中とはいえ我が子達を見ると
「なんとでもできる」
というのが率直な感想です。

しかし私は、
『不登校でも大丈夫』という言葉だけでは
その真意がうまく伝わっていないのではないか

考えています。


特に子供が不登校になって初期は
親も悩み、惑い、不安しかない状態です。
そんな状態で『不登校でも大丈夫』と聞くと
どう感じられます?

「学校に行けなくて大丈夫なわけないよ!」
そりゃ親としてはそう思いますよね。

学校に元気に通うことが当たり前と思って
親世代は育ってきています。
そして我が子に対してもそう思っていますし、
学校側も「子供たちが来るのは当たり前」
と思っているのではないでしょうか。

つまり、学校に行くことが「大丈夫」で
行かないことが「大丈夫ではない」に
近い感覚を持っているのです。


ただそれって不登校の子供から見ると
たぶん逆なんです。

子供たちは、
学校に行くことが「大丈夫じゃない」から
学校に行けなくなったんですよね。

つまり、すでに「大丈夫」の定義が
子供本人と親ではズレているのです。

親としては
(これまで通りに)学校に行って
(これまで通りに)勉強もして
(これまで通りに)進級進学していく
ということを「大丈夫」と思いがち。

でも苦しんでいる子供にとっては
その「大丈夫」を維持することで
自分の心が「大丈夫じゃなくなる」から
学校に行けなくなるんですよね。


私も長男次男が不登校を経験しています。
長男はやっと抜けましたが2回、
次男は時々別室は行きますが
気づけば5年目です。
トータルで9年以上だからこそ
改めて丁寧に伝えたいと思います。

『不登校でも大丈夫』というのは
学校に行かない選択をし、子の心を守ることで
別の未来が拓けるから大丈夫

元いた道が決して正解とは限りません。
悩んで選んだ道は間違いではなくて
次の道を正解にしていけばいい

もう1度言いますね。
『不登校でも、別の未来が拓くから、大丈夫にしていける』

命を大切に、生きる力を大切に。
それより大事なものなんてどこにもありません。

子供たちの心と命を守り、危機を脱した先は
子供たちが自分で立ち上がれるよう
親が寄り添い、ゆっくり進む努力をすることで
「大丈夫」に近づいていけるのだと
私は信じています。

これまでの常識に囚われ続けるのではなく
新しい道を探っていきましょうね。

必要な方に届きますように✨


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