直感と論理をつなぐ第一歩としてもしかしたらこのまま続くかもしれない新しい習慣について
今、これを読んでるのだが、「ほう」と思って新しい習慣づくりにトライしている。
(あら、今見たら、この本はKindle Unlimited読み放題に含まれているらしい。アカウント持ってる方はぜひ読まれることをオススメします)
タイトルから想像つくだろうが、なにかコトを始めようという時(主にビジネスだが)、論理や戦略からはじめるのではなくて、直観や妄想からはじめよう、というのがテーマ。
「それはただの個人的な妄想だ。まず論拠やエビデンスを示せ」
「独りよがりの直感だけでは、ビジネスに世界では生き残れない」
「論理に裏打ちされた戦略があってこそ、成功にたどりつける」
というのは、かつてのビジネスの常識だったけれど、今やこういうやり方はそこかしこで機能不全に陥っていて、むしろ、「根拠の見えない直感」や「得体の知れない妄想」を持った人や企業が新しい価値を生み出し、強烈なインパクトを社会に与えている。
…という前提に立って、ではそれをどう思考して、どう実行するのかを説いた本。ただ読むだけではなく、適宜、その方法論が紹介されているので、ある種のワークブックにもなってる。
で、今日、noteに書きたいのは、この本の「はじめに」で出てくる「モーニング・ジャーナリング」というもの。
著者の説く「ビジョン思考=直感と論理をつなぐ思考法」のコツは、イシュー(課題)を目の前にしてどうすればそれを解決できるかを考えるのではなく、まず自分の中に潜んでる妄想(ビジョン)を引き出すことだと言う。
で、こういうことをする。
・新しいノートを買う
・毎日、決まった時間にノートを書く
・書く時間を15分とか決めておく
・書くページ数も毎日2ページとか決めておく
・必ず紙のノートに手書きする
・最低でも1ヶ月続ける
・人に絶対見せない
スマホアプリやPCではなくてノート、それも真新しいノートにすることで、他人の介入を最初から排除し、自分モードに入る。ノートはいつでもどこへでも持ち歩くから、A5判ぐらいのハンディなもので厚い表紙のあるものが理想。手書きするのは右脳モードにするため。
で、何を書くかと言うと
・過去に起きたことではなく、今そのときに感じていること
・客観的な事実ではなく、あくまで主観的な感覚・感情
これを文章の巧拙は考えないで、思いついたまま、どんなにきざな言い回しでもこっ恥ずかしい告白でも何でもいいから書いていく。誰にも見せないから大丈夫。
著者は、まずは「感情ジャーナリング」がやりやすいと言う。
・自分が嫌だと思ったこと
・嬉しかったこと
・気になっていること
・辛かったのに我慢していること
・実は後悔していること
これ、結構誰でも仕舞い込んでますよね。でも、心の奥底に溜めている他人への悪口や嫉妬心など、マイナス感情が湧いてきても抑え込まずに書く。ただし、ジャーナルの最後は、必ずポジティブな感情で締めくくると充足感が高まる。これ忘れるとネガティブなまんまで落ち込むかも。
「他人モード」に染まりきっている人は、これだけの作業にすら困難を覚えるはずだ。自らの感情にアクセスするための「筋肉」が鈍りきっているからである。まずは「思ったことをありのままに吐き出すリハビリ」だと思って、やってみてほしい。
なるほど、リハビリか。
で、一週間もすると書き終えたあとに爽快感を感じるようになり、一ヶ月経ったあたりから、周囲の目を気にして身にまとっていた「鎧」が取れて「むき出しの自分」が見えてくる、らしい。ほー。
で、はじめてみた。
まだたった3日目だけど、それでもなんと、制限なしに思いつくまま好きに書いていい、というのがいいのだろう、すでに自分を解き放つ感覚が確かにある(はや!)。
ぼくの場合、「感情ジャーナリング」というよりは「思いつくまま考えついたことそのままジャーナリング」だが、そこに自然に感情が混じってくるからオモシロイ。
前後の脈絡を無視してまったくフリーに書くと決めたら、ペンが勝手に動くのも不思議な感じだ。まあ、ぼくの場合、注文を受けて文章を書くという仕事もしてるので、その縛りが外れた反動もあるのだろう。
…と、ここでうっかり、そのノートの画像を貼りそうになった。アブナイ、アブナイ。人に見せたら絶対アカン。日頃の習慣というのは恐ろしいな。というか、ぼくらもそろそろSNSの「何でも見せて共有しておこう」というところから脱却すべきですね。
ぼくは毎日、仕事前の15分間、2ページと決めているけれど、乗ってきたらあっという間に2ページが埋まってしまう。それをすぐ読み返して、(もしかしたら、これは余計なことかもしれないけれど)ここと思うところは赤線引いたり、注釈つけたりして反芻してる。
そして、じっと手を見て考える(石川啄木)。
この時間がなんとも気持ちいい。で、よーし、今日もしっかりやろう、という気になる。
毎日時間に追われている。締め切りが続く。やりたいこととやらねばならないことが山積している。いつも「早く、早く」と誰かに追い立てられている感じがする。誰でもない、自分だ。
ジャーナルという言葉は、元々、事実を記録するという意味だが、これも言ってみれば自分の心の中(あるいは、脳の中)を記録しているということなのだろう。それを「手で書く」という行為によってより具象化して見せてくれることで、余計な部分をカットして、「余白をつくる」ことになる。
ここから先は「WHAT IF」、「もしこうだったらどうなるか」という妄想に入る。ここがオモシロイのだが、それはまた別の機会に書こう。覚えてたら。
しかし、考えてみればシンプルな方法だなぁ。でも、そのせいで毎日続けられそう。
ちなみにぼくは、ほぼ日の方眼ノートを使ってる。A5判で厚めの表紙があり、何よりトモエリバーという紙が最高に書き心地いい。この紙、薄いのに丈夫で240ページもある。オススメ。
それも貼っときます。
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ということで、最後までお読みいただき有難うございました。この記事は、毎週水曜日にカフーツで開催しているブログジェリーに、一日遅刻して書きました。またしても。
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それでは、また。