ジャンクなインプットを辞めて、鯨の声を聴こう。
最初にまとめ
情報のインプットに追われまくり、脳のメモリを取られている。逆に意図的に情報摂取を制限する事が「鯨の声 = 大切なもの」にたどり着く気がしてる。
ジャンクインプット
自分は朝起きて、まずはジャンププラスとマガポケとコミックデイズとサンデーウェプリとニコニコ静画の更新をチェックし、Kindleで新刊のマンガがダウンロードされてないか、されてたら読む。そのあとにRSSで200くらい登録してるサイトを斜めにみて、スマニューでニュースをざっと見る。ついでにTwitterで20くらいフォローしてる海外の報道機関の投稿ポストを時間遡って見て、FBとTwitterをざっと見てYouTubeの更新を確認する。妻が起きたら朝食をとりながらTVerかNHK+で昨日のテレビ番組を見て、食後はiPadでハマってる海外のカードゲームをしながら、スマホでSNSの続きか、将棋の機能の対局の棋譜のチェックをしつつ、ソファーに置いてるビジネス書を片手で読んで、時間になったら身支度をする。会社に行く日は社内でPodcastを聞きながら行く。昼休みはオンラインセミナーあれば聞いたり、会社に届いたHBR読んだり、ビジネス書を読んだりして仕事して帰る。その後、朝起きてからのルーティンをもう一度繰り返して寝る。その後はルーティンの続きか、合間にSlackやTeamsやchatworkな通知があれば、その対応を夜中でもしちゃう。
そんなルーティンを海辺に建てた木の家で、薪のはぜる音も、うるさいくらいの波の音も、南から渡ってきた鳥の囀りも、妻の声も何も聞かずにしている。
流石に、どうかしてる
先週末、奄美に理事をしているNPOの合宿に行ってきた。そこでは(任意で)携帯を没収だったので、たまにはいいかとスマホのない3日間を過ごした。
最高だった。ラジオ体操なんかもしちゃって、波の音を聞いたり、鳥の声を聞いたり、色んな人と話したり、世界の解像度がひらけた気がした。そして思った、「流石に俺、どうかしてた」。
別に、デジタルが悪くて自然に回帰しろと言ってるわけではない。波の音も、鳥の声も、人の話も、自分の日常にあるものなのに、大量のインプットに追われて、何も聴こえてなかったことに気づいた。
目から飛びこむ大量の情報の解析に追われて、耳と鼻と舌から入る情報の大半を自分は無視していた。舌からの接種も味でなく、情報を食べてた。耳もPodcastだし、それも情報だ。大量の情報解析の代償として、感覚的なものに割くメモリを失っていたのだろう。そんなメモリパツパツなんで、大量の情報の中の真の価値があるものなも気がつけてない。誰かが作ってくれた投稿も創作物も雑に受け取ってジャンクにしてたのは自分自身だ。
鯨の声を聞く
ネイティブアメリカンの世界では鯨は世界が生まれてからの情報を保持していて、特定の周波数で大切な事を僕らに話かけているそうだ。その鯨の声を聞くためには一度、沈黙の音を体に取り入れ、頭をクリアにし、感受性を高めないといけないそう。
自分は大量の情報に埋もれて、鯨の声を遮断していたんだろう。奄美の海にスマホをぶん投げて帰ろうかと思ったんだけど、環境破壊にもなるし、何よりローンが残ってるので辞めた。
ただ、せめて家にいる時は、スマホは置いて、窓を開け、家の前の波の音を聞く、沈黙の音を取り入れる時間にしたいと思う。そしてそれが、自分に本当に必要なモノにたどり着く道に繋がってる気がする。