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斯くして少女と少女は添い遂げたが -特別でないはずの恋愛/日本の創作劇に於ける立ち位置-

女性同士が婚約者となり本編の物語が紡がれていった作品が、インターバルを挟んでこの9ヶ月tv放送されていたのをご存知でしょうか。

『機動戦士ガンダム 水星の魔女』が2023年7月2日に最終回を迎えました。
仕事の都合で普段は寝ている時間なのですが流石にリアタイしており、ずっと抱えていた感覚も含め少し纏めてみたくそのままこの記事を書き始めました。(仕事等挟んで今放ちます

私は色んな視点でこの作品を追って来ており
その中の大きなひとつ、こうして切り込み婚姻まで至っておいて描写表現として何故あそこまでが限界であったのか/別の意図があってのあそこまでであったのかについて少し。
本編全体の内容に触れます事を予め。(※記事タイトルはあえて言ってしまっています


花婿の少女と花嫁の少女

2022年10月2日に始まった”踏み込み”。
ガンダムシリーズ初の女性主人公作品の触れ込みで放送を開始した水星の魔女。
その第一話はその先に、少女と少女が同性の婚約者になることで幕を下ろし大いに話題を呼びました。

その後11話までを振り返ってseason1最終回直前に作られた、個人的に一番好きな、この子達がどうか添い遂げられますようにと祈ったPVがこれでした

私は
日本の著名な創作劇はもうずっと女性同士の恋愛を明確に描けないまま来ていたと感じていて
まさかガンダムでここに切り込むとはのサプライズと、ちゃんと今時のこうした事だって普通に観せてよい良い風潮にどこまでどう描けるのかに注目しておりました。

只、SNS等で散見したのは所謂”百合ネタ”だという受け取り方。逆に女同士である事そのものだけに固執する声。
私はどちらもズレた事だと感じていました。

アニメファン系の層に特によくある話に思われますが、同性恋愛というものを現実にもある個人の人生のひとつとして考えられず、”同人誌的なもの”、リアルでないパロディ的なものだと捉えている人は、同性恋愛を好む好まないに関わらずどうにも根強いものでした。
(※以前Twitterで目撃してゾッとしたのが、実社会の同性カップルの方々が上げていたお写真に「尊い」だのその手の”二次元の悪ノリ”の低俗な画像リプライ等を続々と送り付ける人間が数多く発生していた事案でした。こうしたものはイラストや漫画に対してですらきちんとした作者やファンから嫌われるものです。その同性カップルの方のアカウントは鍵をおかけになってしまいました

昨今度々議題に上がるLGBTQ関連や同性婚に関する法整備は、何を求められているのかといえば「誰がどんな生き方や恋をするのかに性別による偏見や制度差をなくす」事に他ならない、ただひたすらそこの問題です。
何ら”特別な人達”ではない、大勢の中の誰かでしかないこと。
そこに個人の感情どうこうでなく社会としてきちんと向き合うことの歩みです。(それを”理解推進”する等という法案名とかあの時点でもうズレているとはかなり感じるのですが..

今作で婚姻に至るスレッタとミオリネも、別段同性愛者として登場した訳ではありませんでした。私はここもかなり大きなポイントであったと感じています。
双方共に、男性からの告白や過去の異性ロマンスなども描かれ、その上で”自身で選んだ””今”の”相手”として、お互いへの気持ちの重ねや大切な出来事やドラマが展開していきます。

丁寧に感情を言葉にしたり具体的に結婚式の話までしたり劇中で周囲も二人の関係をちゃんとそう捉えていたにも関わらず、SNSでは「いやこれは友情だ」「恋だ」と言い争われていたり他のキャラと兎に角男女カップリングでなければおかしいと言い出されていたり
そんなにも他人の恋愛を”カプ論争”にして消費したいものかと感じてしまう淀みに満ち、私は感想を追わないようになりました。
(ここは公式がそれを煽っていた悪面も強く、グッズで好きな組合せを選ばせたり衝撃展開の後にすぐ特番等でお休みを挟んだり、「トレンド入り!」と明言したり兎に角SNSで騒がせたいという広報方針はあからさまで、公式Twitterも追わなくなったものでした

私自身は”恋物語”自体が好きで、そこに 同性でなければ/異性でなければ ならないなどとは一切思わないものでした。
同性恋愛に偏見が無いのは、多分原体験としては幼少期に読んだ尾崎南さんの『絶愛』で、あれは本当に”情念”の御話で..物凄く感情を揺さぶられて。

男性のハライチ岩井さんがBLを恋愛ものとして読んでるって以前『まんが未知』という番組で語っておられて。
女性がGLを読む事を含め、そういうのって”そっちの趣味が自身にある”と捉えられがちなものですが、そうではないんですよね。(※勿論ご自身がそうで読まれている方もおいでの前提で
視点は性別でなく、”恋愛”を題材とした物語というただそれだけのこと。(まずそこがあって、その先に描写や題材種別の好みなど勿論個々あるのはまた別の話なのです

スレッタとミオリネが各々を”花婿””花嫁”と自称もしていたのも、何も男女婚への迎合などでなく
最初は劇中の取り決めとして至った各々の立場を手放さない、大事な二人の関係を示す客観的にも明確な言葉として核にしてきたものでした。
女性同士だから二人とも花嫁といった言葉遊びではない、そういう大切なものだったと感じています。


男性同士に比べ表に出ない女性同士

昨今、一般ドラマなどでも男性同士の恋愛劇は多々見掛けるようになりました。
実社会でも世界的に男性著名人が同性愛や同性パートナーを公言する事は珍しい事でもなくなりました。
歴史的にも、稚児といったものを含めそうした男性の性的指向は数多く知られています。

記事序盤でも触れたように日本の著名創作や、実社会においても女性同士のそうしたものは表立っていない印象があります。
これは何に起因するものなのだろうというのはずっと感じているのですが、もしそこの理由推察に関した論文なり記事なり深く踏み入ったものをご存知でしたらどなたか..。

実社会に関してはどうしても歴史の中での女性の立場なり様々な現実的な事情があるのやも知れません。
しかし創作劇においての題材にもなり難いのはどういったことなのだろうと。
比較的そうしたタイトルが多い漫画や小説などにしても、明確に恋愛であるものもあれど”ジャンル”として”百合”であり、明言されない”強い感情の繋がり”と描かれがちです。

これは別段恋愛でなければいけないという話では決してなく、また、私自身そうした感情の関係性もとても好きではあるのですが
今回触れているのはそこではなく
BLはかなりストレートに”恋愛”として描かれるのに対し、女性同士はそう言いづらい背景というのは何であるのだろうという、そこなんですね。

スレッタとミオリネも、劇中様々な描写やドラマを重ね、お互いの気持ちを確かめ合い(※公式表現)、親からも婚姻後のお互いの家の関係に関してまで触れられ、結婚式の具体的な想定を話し、将来も”一緒に居ること”に依るするべき約束をし、全てがそこに至るものとして描かれて来たにも関わらず
所謂ラブシーンは描写されず(それがあればいいというものでもありませんが)
どこかギリギリのラインで別の解釈の余地もあるかのように予防線を張っているのだろうかとうっすら”ブレーキ”をどこか感じさせる表現にも思えていました。
season2のエンディング映像などは本編より少しだけ踏み込んだ印象はあり、やはり作品として明確にスレミオの関係性を恋愛と描いているのは判ります。

その分、やはり劇中での寸止め感は何だろうというのをどうにも感じる事は多かったのでした。

劇中の大きな事件から3年後の最終話ラストシーン。
スレッタの姉は”小姑”としてミオリネに接していて、愛しそうに寄り添い合うスレッタとミオリネの左薬指には指輪があり、二人は夕食の話をしつつ共に帰路につきました。
これだけでも二人はちゃんと添い遂げてくれたのだと判りはするものの
ここに至っても挙式そのものを描写するような事はないのだなぁと、正直何とも不完全燃焼な気持ちを抱えてしまったのでした。

圧縮されたかのように濃密な、時に駆け足な程の展開を経て全24話の物語を収めた水星の魔女でした。
物語のシーン構成として本編はこう詰めて終わったのだとしても、続くスタッフロールに映像を乗せる事だって出来たはずです。
尺を言うならオープニングをカットしてエンディングを長尺にすれば更に、様々な一枚絵だけでも沢山の事を魅せる選択肢もあったはずでした。
あれほど辛い出来事を経て来た二人です。匂わせる演出がどうのでなく、最後くらい引っ繰り返す程ストレートに華やかな結婚式を視覚的に魅せてくれたってよかったはずです。

これは
意図してそこを描かなかったのだとどうしても思えてしまいました。
この辺りに関してのスタッフインタビューが出ないものかな..と望むだけは望みつつ。

(実際問題もう簡単な答を言ってしまうと、これは同性婚どうのと全く別の面の問題が昨今のある種の商業作品には憑き纏っていて
先述少し触れたようにずっとどうも公式は全部のカップリングの可能性をうっすら残したいのだなという意図は様々感じていたんですよね..。
商売的な話といいますか。
でもそんなのって..登場人物達の恋愛や関係性って見世物小屋じゃないでしょうって感じちゃって、あまりに真摯でない逃げだと思う側面もあるのでした(最近も何だったかな..何かそんな終わり方を感じた作品があったように思います

見出しの話に立ち戻って。
ガンダムtvシリーズとして前作となる『鉄血のオルフェンズ』において明確な男性同士の恋愛劇描写が存在していました。
鉄華団という”家族”のような組織の中で、ヤマギはシノにはっきり恋愛感情を抱えていて、シノはノンケではあれどそれに気付いていてその気持ちをまっすぐに”そういう意味”で「俺を好きになってくれた奴」として彼に向き合っていたのでした。

例えばそうして、ガンダムでも同性恋愛って、はっきり描写出来るんです。男性同士なら。
そして水星の魔女でも、男女の恋愛はいとも簡単に”誰が誰に恋をしている”と描写されます。そうした事をぼかす作風という訳ではありません。

に対して、主人公であるスレッタとミオリネの関係は、勿論丁寧に表現を追っていけば”恋をして想いを重ねてその中で沢山すれ違いもあってそれでも各々が前に進んでお互いを選んでちゃんと結ばれた”形に他ならないのですが、どうにも劇中の描写としてぼかしぼかしであったのは否めず
ここがどうしても”女性同士”である事に起因するように感じてしまうのです。

ここは本当に何なのだろう、というのを拭えないまま この子達の恋物語が描き終えられた事に
添い遂げられて本当に良かったと、それが生涯の意味での”添い遂げる”にも至ってくれますようにとあの子達の幸せだけを祈っていたいのと共に
ああして切り込んでおいて..とどうしても塞がれた諸々を感じて何とも言えない気持ちを抱えてしまうのでした。

全体としての『水星の魔女』

スレミオの件と別途、全話通してもう少し尺があればあの駆け足感を緩和出来たのではという印象も少しあって。
全部やり遂げましたし未来への布石も様々細々台詞に散りばめたり、何というか僅か2時間に御話と表現を紡ぎ切った良質な映画のような感覚もありはするのですが、tvシリーズなので..。

それもギリギリ貰えた枠内でやったというならまだしも、先述のように企画として”ここでお休み挟んで話題沸騰させる”やり方されて来て、その分が減ってるよね..?と思えてならないのが悔やまれポイントではあったのでした。(ある意味商業作品は”作品”である前にそういうものではあるのでしょうが

私の感情面を置いて客観的に見るならば、映像音楽作劇とかなりの高レベルを魅せてくれて、実際とても良質な作品であったとは感じます。

販促的にも短期シリーズとしては相当売上を出したのではないでしょうか。
終盤のスレッタの搭乗機キャリバーン、シンプルというか何か欠損しているような印象のデザインだなぁって少し感じてもいたのですが
最終話成程。。
ガンプラのCM流れないな..?と思ってたのも納得でした(あれが出た後で満を持して放送

十二分な人気作として今後もまだ展開は期待出来るのではとも思えるので
願わくば、ほんともっとストレートにスレッタちゃんとミオリネさんの幸せな結婚生活を垣間見せてもらえたらと..。

ここはこの子達だからというのも大きくあれど
この記事で中核に据えていたこととして
男性同士や男女間のように”普通”には、女性同士の恋愛が表立ちにくいことへの疑問からの願いではあるのでした。

目一杯の祝福を 君”達”に


(※海外のドラマや日本でも漫画や小説で様々女性同士恋愛の創作劇があるのは存じております。。 などとTwitterのような予めの防御壁を展開しつつ

後日追記

こうして色々あれどおだやかにただあの子達に祝福をで終えたはずが
海外まで波及する酷い事態になっておりましたようにて..。
日を空けて触れる、件の水星の魔女炎上案件を受けての、創作というもの、の御話を少し▽

"明言しない"を創作表現でなく商業に利用されるということ -魔女の荒れごと-|花迸和裄❀@k_kahoh #note #多様性を考える https://note.com/kansousuiro/n/n3c88f2b4eb24

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