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杜牧3選
杜牧
杜牧(803~852)は、晩唐を代表する詩人です。官は中書舎人(詔勅の起草を掌る官)に至りました。風流才子の名を馳せた文人で、当時最も繁華な都会揚州(江蘇省)の妓楼に入り浸って詩を詠じたと言われています。経世の志を抱いた豪毅な論客でもあり、しばしば時の政策に対して上奏文を奉りました。また、兵法に精通し、『孫子』の注釈書を著しています。
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「江南春」
杜牧の詩は、軽妙洒脱な中にも情感溢れる数々の七言絶句が人々に愛誦されています。とりわけ「江南春」(江南の春)は、孟浩然の「春曉」と並んで春を詠った名作としてよく知られています。「江南」は、長江下流の地域。今の江蘇・浙江・安徽省一帯を指します。温暖な気候と豊かな自然に恵まれた風光明媚な地方です。
千里鶯啼緑映紅 千里 鶯啼いて 緑 紅に映ず
水村山郭酒旗風 水村 山郭 酒旗の風
南朝四百八十寺 南朝 四百八十寺
多少樓臺煙雨中 多少の楼台 煙雨の中
千里四方、ウグイスが鳴き、緑の葉と赤い花が互いに照り映え合っている。
水辺の村でも山沿いの村でも、酒屋ののぼりが春風にはためいている。
かつて南朝の時代には、四百八十もの寺院が建ち並んでいた。
たくさんの堂や塔が今もけむるような霧雨にぼんやりと霞んで見える。
✍️
「南朝」は、南北朝時代の南の宋・斉・梁・陳の四王朝を指します。貴族文化が栄えた華やかな時代で、広く仏教が信仰されていました。「江南春」は、のどかな江南の春景色を歌った詩です。多くの寺の堂塔が「煙雨」(靄や霞でけむる霧雨)の中にぼんやりと霞んで見えるさまはまさに絵画の世界です。そして、ただ空間的・絵画的なぼかしだけでなく、時間的・歴史的なぼかしも効かせています。霧雨に霞んだ風景の中に、遠い過去の南朝の風景を彷彿とさせているのです。
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「山行」
「江南春」は春を歌った歴代の中国古典詩の代表格ですが、晩秋の山歩きを歌った七言絶句「山行」もまた秋の詩を代表する名作です。紅葉で真っ赤に染まった美しい秋の山の風景を詩情豊かに軽妙なタッチで一幅の絵画のように描いています。
遠上寒山石徑斜 遠く寒山に上れば 石径斜めなり
白雲生處有人家 白雲生ずる処 人家有り
停車坐愛楓林晩 車を停めて坐ろに愛す 楓林の晩
霜葉紅於二月花 霜葉は二月の花よりも紅なり
もの寂しい秋の山、遠くへと登ると、石の小道が斜めに続いている。
遥か彼方、白雲がわき上がる辺りに人家が見える。
馬車を停めて、ついうっとり見とれる夕暮れの楓樹の林。
霜に打たれて色づいた葉は、春の盛りの花より赤々と鮮やかだ。
✍️
「山行」は、紅葉で赤く色づいた楓の美しさと、それに魅了されて忘我の境地に入り込む詩人の心を歌っています。「二月」は陰暦の仲春、春の真っ盛りです。晩秋の「霜葉」(霜枯れした葉)が陽春の花よりも鮮やかな「紅」だというのは、詩人の感性がもたらした発見です。「白雲」は、俗世から遠く隔たった清らかな世界を象徴し、隠者の住む地を連想させる詩句ですが、ここでは「白」が「紅」を引き立てて鮮明なコントラストになっています。
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「赤壁」
杜牧は「江南春」や「山行」など季節の風情を軽妙に歌った詩が広く知られていますが、歴史に題材を取った詠史詩にも見るべき佳作が多くあります。「赤壁」詩は、「三国志」の「赤壁の戦い」を題材としたものです。呉の将軍周瑜が黄蓋の献策を用いて曹操の軍船を焼き討ちにしたとされる天下分け目の戦いです。
折戟沈沙鐵未銷 折戟 沙に沈み 鉄未だ銷けず
自將磨洗認前朝 自ずから磨洗を将て 前朝を認む
東風不與周郞便 東風 周郞の与に便ぜずんば
銅雀春深鎖二喬 銅雀 春深くして 二喬を鎖さん
折れたほこの断片が砂に埋もれ、その鉄はまだ朽ち果てていない。
それを磨いて洗ってみると、三国時代のものであると見分けがつく。
もし、あの戦いで東風が周瑜のために都合よく吹いてくれなかったなら、
喬氏の二人の美女は曹操のものとなり、春深き頃、銅雀台に閉じ込められてしまっていたことだろう。
✍️
「二喬」は喬公の二人の娘。孫策に嫁いだ大喬と周瑜に嫁いだ小喬のこと。「銅雀」は曹操が鄴(河北省)に築いた楼台。この詩は、「もし東風が吹かなかったとしたら、周瑜らの策略は失敗に終わり、二喬は曹操の手に落ちて銅雀台に囲われることになっただろう」というように、歴史に「もし」を付けて史実と異なる状況を仮定で歌った奇抜な詩です。一つ事が違えば時代の流れが大きく変わったであろう歴史的瞬間を歌っているがゆえに、読み手に壮大な空想と浪漫を与えています。
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