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『詩経』「桃夭」~この娘なら、嫁ぎ先は家庭円満
『詩経』の概説は、こちらの記事をご参照ください。↓↓↓
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『詩経(しきょう)』は、中国最古の詩集です。
男女の情愛、収穫の喜び、兵役の苦しみなど、古代人の日常生活の哀歓を素朴な表現で伝えています。
その中の一篇、「桃夭(とうよう)」は全三章から成ります。
桃之夭夭 桃 (もも) の夭夭 (ようよう) たる
灼灼其華 灼灼 (しゃくしゃく) たり其 (そ) の華 (はな)
之子于歸 之 (こ) の子 (こ) 于 (ここ) に帰 (とつ) ぐ
宜其室家 其 (そ) の室家 (しつか) に宜 (よろ) しからん
――桃の若々しさ、燃えるように鮮やかに咲くその花。
この娘が嫁いでいけば、嫁ぎ先は家庭円満。
桃之夭夭 桃 (もも) の夭夭 (ようよう) たる
有蕡其實 蕡 (ふん) たる其 (そ) の実 (み)有(あ)り
之子于歸 之 (こ) の子 (こ) 于 (ここ) に帰 (とつ) ぐ
宜其家室 其 (そ) の家室 (かしつ) に宜 (よろ) しからん
――桃の若々しさ、ふっくらと豊かに実るその実。
この娘が嫁いでいけば、嫁ぎ先は家庭円満。
桃之夭夭 桃 (もも) の夭夭 (ようよう) たる
其葉蓁蓁 其 (そ) の葉 (は) 蓁蓁 (しんしん) たり
之子于歸 之 (こ) の子 (こ) 于 (ここ) に帰 (とつ) ぐ
宜其家人 其 (そ) の家人 (かじん) に宜 (よろ) しからん
――桃の若々しさ、ふさふさと生い茂るその葉。
この娘が嫁いでいけば、嫁ぎ先は家族円満。
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「桃夭」は、『詩経』「国風」の中の「周南」に収められています。
「周南」は、周公の封地の民間歌謡です。
現代の流行歌や演歌と同じで、似たようなフレーズを繰り返しています。
しかし、ただアットランダムに繰り返しているわけではありません。
第一章で、鮮やかな桃の花によって、娘の溌剌とした美しさを歌い、
第二章で、熟した桃の実によって、娘がちょうど年頃であることを歌い、
第三章で、生い茂る桃の葉によって、娘が子どもをたくさん産むこと、つまり、子孫繁栄を歌う、というように、段階的な時間の推移が歌い込まれています。
自然界の風物を歌うことによって、人間界の事柄を象徴的に表す、というのは、『詩経』の一つの特徴です。
「桃夭」では、自然界の桃という植物を歌うことによって、人間界の結婚という事柄を象徴的に表現しています。
動植物、山河など、自然界のものは、古代の風俗・習慣において、何らかのシンボルになっています。
桃は、中国古代の民間信仰では、「美しさ」と「生命力」の象徴です。
同時に、桃は、「魔除け」の象徴でもあります。
邪気を払い、百鬼を制する霊力を持つ樹木とされるため、伝統的に、護符には桃の木の板を使います。
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ですから、「桃夭」の場合、桃は、ただ若い娘の美しさと健康なさまを喩えているだけでなく、新婚生活における「厄払い」という意味を持っているのです。
では、なぜ桃にそのような力があるとされるのでしょうか。
まず、単純に考えれば、桃が春の代表的な植物だからです。
春は、生命の誕生する季節であり、陰陽思想では、陽の気です。幽鬼は、陰の気です。「陽気は陰気を制す」とされていますので、春の陽気を持った桃が陰気の幽鬼を退治する、というわけです。
また、桃は、一本の木にたくさんの実を実らせます。
多産は、すなわち生命力の強さを表します。
しかし、こうした理由だけでは、やや説得力に欠けます。
春の多産な植物は、桃ばかりではありません。
では、なぜ、ことさら桃なのか。
これには、桃の文字の発音が関わっています。
「桃」は、「逃」と同じ「tao」という発音です。
「桃」イコール「逃」、だから邪気が逃げる、というわけです。
こじつけに聞こえますが、中国では、これは、ただのこじつけと片付けることができません。
最古の字書である『説文解字』以来、中国には、「同音イコール同義」とする訓詁学があります。
例えば、『説文解字』で、「鬼」(死んだ人、つまり幽霊)の字義を見てみると、
鬼は、帰なり。
(鬼は、人の帰するところである)
と記されています。
「鬼」と「帰」は、いずれも 「gui」 で、同じ発音だから同じ意味、という語釈です。
ともあれ、こうしたさまざまな理由から、桃は、特別な霊力を持った植物とされるのです。
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「桃夭」は、古来、輿入れの祝い歌として歌われてきました。
日本の結婚式でも、来賓がスピーチで引用したり、親族が朗誦したりすることがあります。
愛情を込めて大切に育ててきた娘を手放す時、どうか嫁ぎ先でも幸せでいて欲しい、そう願う親の気持ちは、古今東西、変わらぬものです。
黄土大地に生きた古代民衆のみずみずしい情感、切なる思い・・・。
三千年を経た今日でも、私たちの胸に共鳴するものがあります。
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↓↓↓ 詩吟「桃夭」(中国語+日本語)