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杜甫3選


杜甫

杜甫とほ(712~770)は、李白と並んで唐代の詩人の双璧です。李白を「詩仙」と呼ぶのに対して、儒家的使命感を以てヒューマニズムを貫いた杜甫は「詩聖」と呼ばれています。また、ロマンチシズムの詩人李白が豪快で自由奔放な詩を歌うのに対して、リアリズムの詩人杜甫は、沈鬱で重厚、精緻で人間味のある詩を歌っています。詩の内容は、戦乱、庶民の苦難、我が身の不遇などが多く見られます。

杜甫


「春望」

天宝十四載(755)、安史の乱が勃発すると、当時、右衛率府うえいそっぷ兵曹参軍へいそうさんぐんという下級官吏であった杜甫は、家族を連れて鄜州ふしゅう(陝西省)に避難します。玄宗が蜀に逃れ、太子李亨りきょうが即位すると、杜甫は新帝(粛宗)の行在所に馳せ参じようとしますが、途中で賊軍に捕らえられてしまいます。「春望しゅんぼう」は、長安で軟禁生活を送っていた至徳二載(757)、杜甫四十六歳の作です。

國破山河在  国破れて 山河在り
城春草木深  
城春にして 草木深し
感時花濺涙  
時に感じては 花にも涙をそそ
恨別鳥驚心  
別れを恨みては 鳥にも心を驚かす

国は壊滅してしまったが、山河は昔のままの姿を留めている。
荒れ果てた都にも春が訪れ、草木がこんもりと茂っている。
乱れた時世に心を痛め、春の花を見ても悲しくなり涙を落とす。
家族との生き別れを悲しみ、鳥の声を聞いてもハッと不安になる。

烽火連三月  烽火ほうか 三月さんげつに連なり
家書抵萬金  
家書 万金ばんきんあた
白頭搔更短  
白頭 けば更に短く
渾欲不勝簪  
すべしんえざらんと欲す

戦乱はやまず、のろしが何ヵ月も続いている。
なかなか届かない妻からの便りは万金にも値するほどだ。
白髪頭を掻けば、髪はますます薄くなり、
冠を留めるかんざしすら挿せなくなろうとしている。

✍️
「春望」は、荒廃した都長安の光景を目の前にして、人の世の無常に感慨を抱き、戦火のやまない国情を憂い、音信の絶えた家族を案じ、そうした状況の中で何一つできずに老い衰えてゆく我が身の零落を嘆いた詩です。この詩は「公」(天下国家)と「私」(自分と家族)が表裏一体となって同じ問題として交互に並べて歌われています。天下の事を我が事とする儒家的な使命感の表れであり、杜甫が後世「詩聖」と讃えられる所以です。


「登高」

登高とうこう」は、大暦二年(767)、杜甫五十五歳、夔州きしゅうで詠まれた詩です。詩題の「登高」は、重陽節(旧暦九月九日)に丘や高台など高い場所に登ることを言います。この節句には、茱萸しゅゆの枝を髪に挿し、菊花酒を飲んで厄払いをする風習があります。

風急天高猿嘯哀  風急に 天高くして 猿嘯えんしょうかな
渚淸沙白鳥飛廻  なぎさ清く すな白くして 鳥飛びめぐ
無邊落木蕭蕭下  無辺の落木 蕭蕭しょうしょうとして下り
不盡長江滾滾來  不尽の長江 滾滾こんこんとしてきた

風が激しく、空は澄み渡り、野猿の啼く声が哀しげだ。
川辺の水は清らかで、砂は白く、鳥が飛び回っている。
果てしなく広がる樹林では、枯れ葉が物悲しい音を立てて散り、
尽きることのない長江の水が、滾々と湧くように流れてくる。

萬里悲秋常作客  万里 悲秋 常にかく
百年多病獨登臺  百年 多病 独り台に登る
艱難苦恨繁霜鬢  艱難かんなん はなはだ恨む 繁霜はんそうびん
潦倒新停濁酒杯  潦倒ろうとう 新たにとどむ 濁酒の杯

故郷から遠く離れ、いつも旅空に身を置いて悲しい秋を迎える。
生涯ずっと病気がちのわたしは、たった独りで高台に登る。
苦労のあまり髪が真っ白になってしまったのが何とも恨めしい。
すっかり老い衰えて、せめてもの慰めだった酒すら飲めなくなった。

✍️
重陽節は、本来は家族みなで過ごす節句ですが、この日杜甫は独りで高台に登っています。官界で志を得ることができず、日々の生活にも苦労の絶えない人生、憂さ晴らしの酒を飲みたくても病み衰えて飲むこともできないという我が身の惨めさを嘆いています。「登高」は、近体詩としての完成度が高く、古来、七言律詩の最高傑作と謳われています。


「石壕吏」

石壕吏せきごうり」は、乾元二年(759)、杜甫四十八歳、華州司功参軍の任にあった時、洛陽(河南省)へ出向いて華州(陝西省)に帰る道中での見聞を歌った詩です。当時、周辺の村々で無慈悲な徴発が行われていたさまを物語風に詠じています。

暮投石壕村  暮に投ず 石壕村せきごうそん
有吏夜捉人  有りて 夜 人をとら
老翁逾牆走  老翁 かきえて走り
老婦出門看  老婦 門を出でて
吏呼一何怒  吏の呼ぶこと いつに何ぞ怒れる
婦啼一何苦  婦のこと 一に何ぞ苦しめる

日暮れに、石壕村で投宿すると、
役人が夜中に人を捕らえに来ていた。
老翁は土塀を越えて逃げ、
老婆が門を出て応対している。
役人の怒鳴り声のなんと凄まじいことか、
老婆の泣き声のなんと痛々しいことか。

聽婦前致詞  婦のすすみてことばを致すを聴くに
三男鄴城戍  三男さんだん 鄴城ぎょうじょうまも
一男附書至  一男 書をして至れるに
二男新戰死  二男 新たに戦死すと
存者且偸生  存する者は しばらく生をぬすむも
死者長已矣  死する者は とこしえみぬ
室中更無人  室中 更に人無く
惟有乳下孫  乳下にゅうかの孫有るのみ
有孫母未去  孫有りて 母未だ去らざるも
出入無完裙  出入するに 完裙かんくん無し
老嫗力雖衰  老嫗ろうう 力は衰えたりといえど
請從吏夜歸  請う 吏に従いて夜に帰せん
急應河陽役  急に河陽かようえきに応ぜば
猶得備晨炊  晨炊しんすいに備うるを得んと

老婆が進み出て役人と話しているのを聞くと、
「三人の息子が鄴城(河南省安陽県)の守りに就いておりました。
そのうちの一人が人に託して便りをよこしましたが、
あとの二人が近頃戦死したとの知らせでした。
命があれば、なんとか生き延びていけますが、
死んでしまっては、もう永遠におしまいです。
わが家にはもう兵役に出せる男子はおりません。
まだお乳を飲んでいる孫がいるだけです。
孫がいるので母親はまだこの家に残っておりますが、
まともな服がないので、外へ出ることもできません。
このわたくしめは老いぼれて力は衰えておりますが、
お役人様について夜のうちに戦地に行かせてください。
ただちに河陽(河南省孟県)で労役に就けば、
朝の飯炊きのお役目くらいは果たせましょう」

夜久語聲絶  夜久しくして 語声ごせい絶え
如聞泣幽咽  泣いて幽咽ゆうえつするを聞くがごと
天明登前途  天明 前途に登り
獨與老翁別  独り老翁と別る

夜が更けると、家の中から話し声は途絶え、
むせび泣く声だけが聞こえてくるようだった。
翌日、夜が明けて再び旅路につこうと門を出るとき、
(老婆は昨夜すでに連行され)老翁一人にだけ別れを告げた。

✍️
この詩が歌われた年は、安史の乱で郭子儀かくしぎらの官軍と反乱軍が一進一退の攻防を続けていました。朝廷は兵力補充のために容赦ない徴発を行い、男であれば子供でも老人でも徴発されたので、家で唯一の働き手となった老翁はひとまず逃げていたというわけです。「石壕吏」は、「新安吏しんあんり」「潼関吏どうかんり」「新婚別」「垂老別」「無家別」と併せて「三吏三別さんりさんべつ」と総称されています。いずれも理不尽な世の中で社会の底辺にいる庶民が戦禍と飢饉で塗炭の苦しみにあえぐ不条理を活写しています。


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