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【心に響く漢詩】謝朓「游東田」~六朝貴族のスマートな山水詩

   游東田  東田(とうでん)に游(あそ)ぶ                  
                  南朝斉・謝脁(しゃちょう)
  慼慼苦無悰
  攜手共行樂
  尋雲陟累榭
  隨山望菌閣
  遠樹曖仟仟
  生煙紛漠漠
  魚戲新荷動
  鳥散餘花落
  不對芳春酒
  還望青山郭

慼慼(せきせき)として悰(たの)しみ無(な)きに苦(くる)しみ
手(て)を携(たずさ)えて共(とも)に行楽(こうらく)す
雲(くも)を尋(たず)ねて累榭(るいしゃ)に陟(のぼ)り
山(やま)に随(したが)いて菌閣(きんかく)を望(のぞ)む
遠樹(えんじゅ)曖(あい)として仟仟(せんせん)たり
生煙(せいえん)紛(ふん)として漠漠(ばくばく)たり
魚(うお) 戯(たわむ)れて 新荷(しんか)動(うご)き
鳥(とり) 散(さん)じて 余花(よか)落(お)つ
芳春(ほうしゅん)の酒(さけ)に対(むか)わずして
還(かえ)って青山(せいざん)の郭(かく)を望(のぞ)む

謝朓

謝朓(しゃちょう)(464~499)は、字は玄暉、南朝斉の人です。
南朝の名門一族の出で、謝霊運と同族です。かつて宣城(安徽省)の太守を務めたので、世に謝宣城と呼ばれています。

中国詩史の上では、謝朓は、謝霊運の山水詩を継承し、よりいっそう秀逸で洗練されたものに熟成させました。

「游東田」(東田に游ぶ)は、晩春(もしくは初夏)の鮮やかな江南の風光を詩情豊かに詠じた作品です。

「東田」は、謝朓の別荘のあった場所で、建康(南京)の鍾山の東麓に位置します。

慼慼(せきせき)として悰(たの)しみ無(な)きに苦(くる)しみ
手(て)を携(たずさ)えて共(とも)に行楽(こうらく)す

――憂愁深く楽しみの無いのに苦しみ、
友と手を携えて一緒に山野を行楽する。

雲(くも)を尋(たず)ねて累榭(るいしゃ)に陟(のぼ)り
山(やま)に随(したが)いて菌閣(きんかく)を望(のぞ)む

――雲の高さを尋ねては、幾重にも重なる高殿に登り、
山道をたどっては、美しい楼閣を遠くに眺める。

遠樹(えんじゅ)曖(あい)として仟仟(せんせん)たり
生煙(せいえん)紛(ふん)として漠漠(ばくばく)たり

――遠くの木々は、おぼろに霞んだ中で生い茂り、
湧き上がるもやは、ぼんやりと果てしなく広がっている。

魚(うお) 戯(たわむ)れて 新荷(しんか)動(うご)き
鳥(とり) 散(さん)じて 余花(よか)落(お)つ

――魚が戯れ泳ぎ回ると、芽生えたばかりの蓮の葉が揺れ、
鳥が枝から飛び立つと、春の名残の花がはらはらと散り落ちる。

「遊東田」は、対句に優れた詩とされていますが、とりわけこの2句がよく知られています。

すぐ前の2句がぼんやりとした遠景を捉えているのに対して、この2句は、急にフォーカスを移すかのように、くっきりとした近景を捉えています。
川面の魚と枝上の鳥、揺れ動く蓮の葉と散り落ちる花びら。ふと目に映った鮮やかな春の光景を一コマの動画で切り取ったような対句です。

芳春(ほうしゅん)の酒(さけ)に対(むか)わずして
還(かえ)って青山(せいざん)の郭(かく)を望(のぞ)む

――用意した芳しい春の新酒には向かわずに、
美しい青々とした山並みの村を眺めている。

友人を伴っての野遊びですから、むろん酒を携えて対酌するつもりだったのでしょう。
ところが、周りの光景があまりに美しく、つい杯に手を伸ばすのも忘れて、遠くの山々をじっと眺めている、という情景です。

「遊東田」は、春の行楽の時節、山野を遊覧した際の自然の風光を爽やかな山水画のようなタッチで描いた作品です。

謝朓の詩には、謝霊運の詩に見られるような理屈っぽさがありません。
謝霊運の山水詩をさらに繊細なものにしつつ、臭味を抜いたような詩です。

いかにも洗練された六朝貴族の詩人らしく、山水の美をスマートに描写するセンスの良さを感じさせます。


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