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鯉は龍門に登ったか?

後漢の清流派の重鎮李膺りようは、厳正で剛毅な人物として声望が高かった。李膺に認められることは将来が約束されることに等しいとされ、世人はこれを「龍門に登る」と称した。立身出世の関門をいう「登龍門」の語源である。

龍門は黄河上流にある峡谷の名前で、この急流を登り切った魚は化して龍となるという言い伝えがある。通説ではこの魚が鯉であるとしているが、実はこれが少々疑わしい。

『後漢書』李膺伝で注に引く『三秦記』には、

魚鼈ぎょべつたぐいのぼるものし。江海の大魚、龍門の下にせまり集うもの数千、上るを得ず。上らば則ち龍とる。

とあり、ここでは魚類と記しているだけで鯉とは特定していない。この伝説の魚はチョウザメだとする説もある。

では、なぜ鯉が登ったことになったのか。

どうやら道教の世界で鯉が仙人の乗り物であることと関係するらしい。仙人が鯉の背に跨って昇天するという類の道教説話がある。

『列仙全伝』に登場する琴高仙人きんこうせんにんが有名で、日本にも伝わり、日光東照宮の陽明門にも彫られている。

この道教説話の影響で、いつの間にか龍門に登ったのも鯉という話になったようである。

とりわけ唐代は皇室が李姓で、太上老君(老子)が同じく李姓であるゆえに道教が盛行し、「李」と同音の「鯉」はことさら崇拝されていた。

ただの魚がとうとう皇帝の象徴である龍にまでなってしまった。文字通り、龍門に登る大出世である。


*ヘッダー画像は、日光東照宮陽明門に彫られた琴高仙人。

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