【心に響く漢詩】高適「除夜作」~旅の宿で独り大晦日を迎える思い
除夜作 除夜(じょや)の作(さく)
唐・高適
旅館寒燈獨不眠
客心何事轉凄然
故鄕今夜思千里
霜鬢明朝又一年
旅館(りょかん)の寒灯(かんとう) 独(ひと)り眠(ねむ)らず
客心(かくしん) 何事(なにごと)ぞ 転(うた)た凄然(せいぜん)
故郷(こきょう) 今夜(こんや) 千里(せんり)を思(おも)う
霜鬢(そうびん) 明朝(みょうちょう) 又(また)一年(いちねん)
唐代の詩人高適(?~765)に「除夜作」と題する七言絶句があります。
大晦日(旧暦)の夜を故郷から遠く離れた旅先の宿で過ごす感慨を詠じた詩です。
――旅の宿で寒々とした灯を前に、独り眠れぬ夜を過ごしている。
異郷に身を置く私の心は、なぜか知らずいよいよ物悲しくなるばかり。
「旅館」と言っても、旅行をしているわけではありません。官吏ですから、地方への赴任の道中と考えられます。
――今夜は千里の彼方にある故郷がいっそう恋しく思われる。
白髪頭の私も、夜が明ければまた一つ年を取るのだ。
古くは数え年で年齢を数えました。元旦を迎えると、誰もが一つ年を加えることになります。
中国の伝統的な風習では、大晦日の夜は、家族みなが、一晩中眠らずに、ご馳走を囲み、酒を酌み交わしながら、賑やかに新年の朝を迎えました。
こうした一家団欒で集うはずの時節だからこそ、独り旅空で除夜を迎え、老境にまた一つ年を重ねようとしている詩人は、よりいっそう寂しい思いに駆られるのです。
さて、唐代のほぼ同時期に、戴叔倫(732~789)という詩人がいます。「除夜宿石頭驛」と題する五言律詩が残っていて、やはり大晦日の感慨を歌っています。
律詩ですから全八句ですが、その冒頭二句は、
とあり、末尾の二句は、
とあります。
高適の作品と比べてみると、詩型こそ異なりますが、主題・語彙・着想、いずれも瓜二つです。
これが偶然の一致とは考えにくく、どちらかが模倣したことは明白です。高適の生年は未詳(7世紀と8世紀の境の前後で諸説あり)ですが、戴叔倫より約30歳年上ですので、戴叔倫が高適の作を模倣したと推測するのが自然でしょう。
ここまで似ていると、現代人の感覚では「パクリ」のように見えますが、実は、中国の古典詩においては、こうした模倣は、盗作でも剽窃でもありません。「換骨奪胎」という名分で、れっきとした修辞的技法として是認されています。
先人の詩を自らの詩にオーバーラップさせて、作品に重層的な趣を持たせるという技法です。
さらに言えば、中国の伝統文化においては、そもそも「オリジナル」というものを尊重する考え方がありません。
こうした文化的土壌の上で、中国人には「他人のものを自分のものとして利用する」ということに対する抵抗感がないのです。
話が飛びますが、昨今の中国で、知的財産権という意識が薄いことと通底するところがあるのかもしれません。