【心に響く漢詩】庾信「擬詠懷」~異郷の空に漂う落涙の曲、断腸の歌
中国の南北朝時代、南朝に比べて、北朝は文学活動が低調でした。
伝統的な古典詩において注目すべき詩人は多くありませんが、特殊な例として、南北朝末期に、南から北へ使いして国家の滅亡に遇い、そのまま北の地に留まった詩人たちがいました。庾信(ゆしん)がその代表的な例です。
庾信(513~581)、字は子山は、もと梁の宮廷詩人であり、艶麗な詩風で知られていました。
のち、西魏・北周に仕える運命となり、異郷に流寓する悲哀を沈鬱に歌っています。
南朝の華美な詩風と北朝の質朴な詩風を融合させた詩として高い評価を得ています。
北周で、驃騎将軍、開府儀同三司の官に就いたので、世に庾開府と呼ばれています。
「擬詠懐」27首は、魏・阮籍の「詠懐詩」に擬したものです。
ここでは、其七を読みます。
――楡関(関所の名)からの音信は途絶え、
故国(梁)からの使者の往来も無くなってしまった。
――胡人が吹く笛の音が涙を誘い、
羌族が吹く笛の音に断腸の思いを募らせる。
――束ねた白絹のような細い腰は、ますます痩せ細り、
別れの涙で目元がくすみ、波立つまなざしもすっかり台無し。
――離別の悲しみは、いつまでも止むことがなく、
若く美しい容色は、これからも長く続くことはない。
――枯れ木の枝が東海を埋め尽くし、
山が黄河を堰き止められたらと願うばかり。
最後の2句は、南北両地の間に横たわる自然の障壁が取り除かれて、故国へ帰る道が開ける、という叶うはずのない願望を歌っていますが、この背景には、それぞれ神話故事があります。
一つは、『山海経』「北山経」に見える故事。炎帝の娘の女娃が東海で溺死し、精衛という鳥に姿を変え、木や石を銜えて運び、海を埋めようとしたという話です。
もう一つは、『水経注』巻4「河水」に見える故事。禹が、洪水を防ぐために、黄河を遮っている山を崩して水を通したという話です。
この詩は、全10句から成りますが、前半4句は、望郷の念を作者自身の立場で直接歌い、続く4句は、夫の帰りを待ち焦がれる妻の気持ちを歌って作者の心情を代弁させ、そして最後の2句で再び作者自身が帰郷の願望を切々と訴えて結んでいます。
庾信は、日本ではそれほど知名度はありませんが、後世の文学に大きな影響を与えた詩人です。
杜甫は、「春日憶李白」(「春日李白を憶う」)と題する詩の中で、李白の詩才を讃えて、
というように、その「清新」(爽やかで斬新なさま)を庾信になぞらえています。