清代の文人蒲松齢が著した怪異小説『聊斎志異』五百篇は、妖しげな雰囲気の中で、神仙・幽鬼・妖精らが繰り広げる怪異の世界が展開されています。
その中から、菊の妖精の話「黄英」を読みます。
「黄英」は、菊マニアの男と菊の妖精の物語です。
彼らの出会いは、表面上は偶然のものとして描かれていますが、実は、男の「癖」が引き寄せた必然的なものでした。
作者蒲松齢も「十月孫聖左齋中賞菊」と題する詩に、
我昔愛菊成菊癖 我昔 菊を愛し 菊癖を成す
佳種不憚千里求 佳種 千里に求むるを憚らず
と歌っているように、菊マニアであることを自認しています。
馬子才が出会った若者が陶姓を名乗っているのは、言うまでもなく陶淵明を意識したものです。東晋の陶淵明は、酒と菊を愛した隠逸詩人として知られています。
菊には、清く高潔な隠逸のイメージがあり、陶淵明の詩には、しばしば菊が詠まれています。
最もよく知られている「飲酒」(其五)には、
采菊東籬下 菊を采る 東籬の下
悠然見南山 悠然として 南山を見る
と歌っています。
この物語の中心テーマは「清貧」です。
北宋・周敦頤の「愛蓮説」に、「菊は花の隠逸なる者なり、牡丹は花の富貴なる者なり、蓮は花の君子なる者なり」とあるように、菊は隠逸のシンボルであり、そこから清貧をイメージさせるものです。
この物語では、菊の妖精たちは、初めは貧しい暮らしをしていましたが、菊を売ることによって次第に裕福になり、馬子才の方が、貧しい暮らしを貫き通そうとします。
陶三郎が菊を売って生計を立てることを提案した時、馬子才は、それは陶淵明の家の「東籬」を市場に代えてしまうようなものだと言って陶を卑下しています。
この場面で、作者は、馬子才の性格を「介」と表現しています。「介」は、狷介の「介」です。肯定的にも否定的にも解釈できる概念で、良く言えば、節操が堅いこと、自分の信念を曲げないことですが、悪く言えば、心が狭く自分のやり方に固執すること、融通が利かず意固地であることを言います。
馬子才は、清貧に拘泥しすぎて、頑なに貧乏生活に徹しようとするあまり、滑稽でさえあります。これは、伝統的な固定観念に縛られ現実から遊離した士大夫の姿を象徴するものです。
作者の筆は、馬子才に対する揶揄を感じさせますが、しかし、冷たい嘲笑ではなく温かみさえ感じさせます。
作者が菊癖のある男を好意的に微笑ましく描いている背景には、作者自身の菊癖に加えて、明末清初の「癖」に対する肯定的価値観が働いているためと言ってよいでしょう。
一方、陶三郎は達観していて、こだわりがありません。馬子才に非難されても、「わざわざ貧乏になる必要もないでしょう」と笑いながら受け流しています。これは、洒脱で粋な文人の姿を象徴するものです。
黄英も三郎と似ていて、馬子才と黄英とのやりとりには、二人の生き方の違いがよく現れています。
「陳仲子のように振る舞っていては疲れるでしょう」と黄英が馬子才をやり込める場面があります。陳仲子は戦国時代の斉の人で、ことさら清貧にこだわり、高禄をはむ兄を卑しんで家を出たが、食べる物がなく腐ったスモモで飢えをしのいだという逸話があります。孟子は、陳仲子のことを清廉に拘泥して中庸を欠くとして批判しています。
また別の場面では、馬子才がもっぱら「貧」「富」という短絡的な価値観でそれぞれを「清」「濁」と決めつけているので、黄英は「清い者は清いまま、濁った者は濁ったまま暮らせばよい」と軽く受け流して別居することを提案しています。
「黄英」は『聊斎志異』の中でもとりわけ有名な作品です。人間の男と異類の交わりを詩情豊かに、かつどこか哲学的に描いています。同じ花妖でも、菊とは対照的な牡丹の妖精である「葛巾」や「香玉」とはまたひと味違った風趣のある作品です。