王心斎「明哲保身論」
「明哲保身」は、
という意味である。賢明で安全な身の処し方を言う。
「明哲保身」は、古来、知識人の処世態度を示す言葉として、しばしば詩詞文章に引用されてきた。
明・王心斎の「明哲保身論」は、「明哲保身」を自らの思想の中核をなす概念の一つとして取り上げた文章である。
王心斎は、明代後期、王陽明の門下で致良知説を継承し、のちに泰州学派を形成して思想界に大きな影響を与えた人物である。
「明哲保身論」の冒頭に次のように言う。
まず、「明哲保身」が、陽明学の基幹となる概念である「良知良能」と同じものであると説き起こす。
そして、「保身」が自己と他者の間の双方向的な敬愛に繋がり、結局は自己の「保身」を担保することになる、という循環的な人間社会の法則を説く。
人を愛し敬えば、人もまた我を愛して悪まず、敬って侮らず、そうして我が身は保たれるとするものであり、すべては「保身」に集約されていく。
そして、さらに論を展開して、次のように述べる。
「保身」はそのまま「仁」であり「万物一体之道」であり、忠孝の道を行い天下国家を治める上での基盤であるとしている。
我が身が保たれてはじめて一家を保ち、一国を保ち、天下を平らかにするというものであり、儒家の理念である「修身・斉家・治国・平天下」を実践する上での必要前提条件として「保身」を据えている。
陽明学左派の泰州学派は、急進的で反封建的な思想の流派であった。
そのため、当時、しばしば朝廷から弾圧を受けており、官途にある同門の士が罪を得て死を賜ったり、流刑に処されたりすることが起きていた。
「明哲保身論」の背景には、そうした不条理な犠牲を強いられていた同志に対する王心斎の思いがあったことも考え合わせなくてはならない。