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王心斎「明哲保身論」
「明哲保身」は、
優れた知恵を働かせて賢明に物事を判断し、危険を招く恐れのある事柄には関与せず身を安全に保つこと
という意味である。賢明で安全な身の処し方を言う。
「明哲保身」は、古来、知識人の処世態度を示す言葉として、しばしば詩詞文章に引用されてきた。
明・王心斎の「明哲保身論」は、「明哲保身」を自らの思想の中核をなす概念の一つとして取り上げた文章である。
王心斎は、明代後期、王陽明の門下で致良知説を継承し、のちに泰州学派を形成して思想界に大きな影響を与えた人物である。
「明哲保身論」の冒頭に次のように言う。
明哲とは、良知なり。明哲保身とは、良知良能なり。所謂慮らずして知り、学ばずして能くする者なり。人皆之有り、聖人と我と同じきなり。
身を保つを知る者は、則ち必ず身を愛すること宝の如し。能く身を愛すれば、則ち敢えて人を愛さざることあらず。能く人を愛すれば、則ち人必ず我を愛す。人我を愛すれば、則ち吾が身は保たれり。能く人を愛すれば、則ち敢えて人を悪まず。人を悪まざれば、則ち人我を悪まず。人我を悪まざれば、則ち吾が身は保たれり。
能く身を愛する者は、則ち必ず身を敬うこと宝の如し。能く身を敬えば、則ち敢えて人を敬わざることあらず。能く人を敬えば、則ち人必ず我を敬う。人我を敬えば、則ち吾が身は保たれり。能く身を敬えば、則ち敢えて人を慢らず。人を慢らざれば、則ち人我を慢らず。人我を慢らざれば、則ち吾が身は保たれり。
まず、「明哲保身」が、陽明学の基幹となる概念である「良知良能」と同じものであると説き起こす。
そして、「保身」が自己と他者の間の双方向的な敬愛に繋がり、結局は自己の「保身」を担保することになる、という循環的な人間社会の法則を説く。
人を愛し敬えば、人もまた我を愛して悪まず、敬って侮らず、そうして我が身は保たれるとするものであり、すべては「保身」に集約されていく。
そして、さらに論を展開して、次のように述べる。
此れ仁なり、万物一体の道なり。
之を以て家を斉うれば、則ち能く一家を愛せり。能く一家を愛すれば、則ち一家の者必ず我を愛せり。一家の者我を愛すれば、則ち吾が身は保たれり。吾が身保たれて、然る後に能く一家を保てり。
之を以て国を治むれば、則ち能く一国を愛せり。能く一国を愛すれば、則ち一国の者必ず我を愛せり。一国の者必ず我を愛すれば、則ち吾が身は保たれり。吾が身保たれて、然る後に能く一国を保てり。
之を以て天下を平らかにすれば、則ち能く天下を愛せり。能く天下を愛すれば、則ち天下の凡そ血気有る者、親を尊ばざるは莫し。親を尊ばざる莫ければ、則ち吾が身は保たれり。吾が身保たれて、然る後に能く天下を保てり。
「保身」はそのまま「仁」であり「万物一体之道」であり、忠孝の道を行い天下国家を治める上での基盤であるとしている。
我が身が保たれてはじめて一家を保ち、一国を保ち、天下を平らかにするというものであり、儒家の理念である「修身・斉家・治国・平天下」を実践する上での必要前提条件として「保身」を据えている。
陽明学左派の泰州学派は、急進的で反封建的な思想の流派であった。
そのため、当時、しばしば朝廷から弾圧を受けており、官途にある同門の士が罪を得て死を賜ったり、流刑に処されたりすることが起きていた。
「明哲保身論」の背景には、そうした不条理な犠牲を強いられていた同志に対する王心斎の思いがあったことも考え合わせなくてはならない。