魏晋南北朝時代、「六朝志怪」と呼ばれる怪異小説が盛行しました。
その中から、東晋・干宝撰『捜神記』に収められている「北斗と南斗」の話を読みます。
「北斗と南斗」~寿命を司る星
中国古代の民間信仰では、人間の寿命はあらかじめ定められていて、それが文書に記されているとされていました。
寿命に関する信仰には、2つの系統があります。
1つは、「泰山信仰」に基づくものです。
泰山に冥府(冥土の役所)があり、そこに人の寿命を記した「冥籍」という文書があって、冥吏(冥土の小役人)がその記載に従って寿命の尽きた人間を召し捕りに来る、というものです。
これについて詳しくは、下の記事の解説をご参照ください。
もう1つは、「占星術」に基づくものです。
特定の星の神が人間の生死や運命を司る、という信仰です。
今回読んだ話では、南斗星の神が「生」を、北斗星の神が「死」をそれぞれ記録管理するとしています。
ほかにも、「司命」という星の神が人間の寿命を司るとするバージョンもあります。
「文昌六星」の6つの星(上将・次将・貴相・司命・司中・司禄)が、それぞれ人間界の特定の事柄を司り、第4星の「司命」が、人間の生死や運命を司るとするものです。
「北斗と南斗」の話は、19歳で若死にするはずの顔超が、南斗の神の慈悲で90歳まで寿命が延びたという話です。
文中で、「上に跳ねる印」と言うのは、上の文字と下の文字をひっくり返す記号、つまり日本の漢文の「レ点」と同じです。これで「十九」が「九十」になったというわけです。
この話は、酒食のもてなしで破格の見返りを得たという話ですから、懇ろな接待で事がうまく運んだり、無理が通ったり、情状酌量が期待できたり、という中国社会の体質をよく反映している話でもあります。