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【心に響く漢詩】劉希夷「代悲白頭翁」~洛陽の風に舞う桃李の花

  代悲白頭翁  白頭(はくとう)を悲(かな)しむ翁(おきな)に代(か)わる
                     唐・劉希夷(りゅうきい)
 洛陽城東桃李花
 飛來飛去落誰家

洛陽(らくよう)城東(じょうとう) 桃李(とうり)の花(はな)
飛(と)び来(きた)り飛(と)び去(さ)りて 誰(た)が家(いえ)にか落(お)つる

 古人無復洛城東
 今人還對落花風

古人(こじん) 洛城(らくじょう)の東(ひがし)に復(かえ)る無(な)く  
今人(こんじん) 還(ま)た対(たい)す 落花(らっか)の風(かぜ)

 年年歳歳花相似
 歳歳年年人不同

年年(ねんねん)歳歳(さいさい) 花(はな)相(あい)似(に)たり
歳歳(さいさい)年年(ねんねん) 人(ひと)同(おな)じからず

 此翁白頭眞可憐
 伊昔紅顏美少年

此(こ)の翁(おきな) 白頭(はくとう) 真(まこと)に憐(あわ)れむべし
伊(こ)れ昔(むかし) 紅顔(こうがん)の美少年(びしょうねん)


 初唐の劉希夷(りゅうきい)、字は廷芝(ていし)という詩人の「代悲白頭翁」と題する詩です。

 二十六句に及ぶ長編の七言古詩です。
 抜粋して読むことにしましょう。

洛陽(らくよう)城東(じょうとう) 桃李(とうり)の花(はな)
飛(と)び来(きた)り飛(と)び去(さ)りて 誰(た)が家(いえ)にか落(お)つる

――洛陽の東郊、咲き誇っていた桃の花も今や散り、風に吹かれてひらひら舞い飛んで、いったいどこへ落ちてゆくのだろう。

古人(こじん) 洛城(らくじょう)の東(ひがし)に復(かえ)る無(な)く
今人(こんじん) 還(ま)た対(たい)す 落花(らっか)の風(かぜ)

――昔の人たちはもうこの洛陽の東には帰ってこない。彼らと入れ替わるかのように、今の人たちが同じように花を散らせる風に向かい合っている。

年年(ねんねん)歳歳(さいさい) 花(はな)相(あい)似(に)たり
歳歳(さいさい)年年(ねんねん) 人(ひと)同(おな)じからず

――来る年も来る年も、花は同じように咲いている。されど、それを愛でる人は、毎年毎年同じ姿ではいられない。

此(こ)の翁(おきな) 白頭(はくとう) 真(まこと)に憐(あわ)れむべし
伊(こ)れ昔(むかし) 紅顔(こうがん)の美少年(びしょうねん)

――ああ、このご老人の白髪頭、まことに気の毒なもの。このお方も、昔は紅顔の美少年だったのだから。


 この詩は、中国古典詩の中で、「人生無常」を最も美しく文学的に歌ったものと言ってよいでしょう。

 中国の古典詩では、人生無常を歌う際、はかない人生だからこそ今を存分に楽しもう、という享楽主義的な志向を示すものが多く見られます。

 そうした中、この詩は、人生のはかなさをそのまま真正面から受け止め、ただひたすら哀切に、甘美に歌い上げることに徹した作品です。

 ごく平易な言葉の中に、しみじみとした情趣を漂わせています。

 とりわけ、「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同」の二句が、恒常の自然界と無常の人間界とを見事に対比させた対句としてよく知られています。

 この上なくシンプルでありながら、この上なく詩情豊かな名句です。

 実は、この対句、あまりの素晴らしさゆえに、殺人事件を引き起こしたと伝えられています。

 『唐才子伝』(元・辛文房撰)には、次のような逸話が載っています。

「劉希夷からこの詩を見せられた舅の宋之問が、「年年歳歳」の一聯を痛く気に入り、横取りして自分の作品にしようとした。譲って欲しいと頼んだが断られたので、下僕を使って希夷を殺害した。」

 このたぐいの逸話集は作り話が多いので、真偽のほどはわかりませんが、ともあれ、このようなエピソードが伝わるほど人々を魅了した天下の名句であるということを物語っています。

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