見出し画像

「友情」を歌う漢詩3選


「贈汪倫」


唐・李白「贈汪倫」
汪倫おうりんに贈る)

李白乘舟將欲行  李白 舟に乗りて まさに行かんと欲す
忽聞岸上踏歌聲  たちまち聞く 岸上 踏歌とうかの声
桃花潭水深千尺  桃花潭水とうかたんすい 深さ千尺
不及汪倫送我情  及ばず 汪倫おうりんが我を送るの情に

わたし(李白)が舟に乗って出発しようとすると、
ふと岸辺から足を踏み鳴らして歌う声が聞こえてきた。
ここ桃花潭の淵は、深さが千尺もあるというが、
汪倫がわたしを送ってくれる情の深さには及ばない。

✍️
唐代の李白の七言絶句「贈汪倫」は、李白が桃花潭(安徽省涇県)を訪れてしばらく滞在した時、村の酒造家で汪倫という者から美酒のもてなしを受け、別れ際に感謝の意を込めて歌った詩です。「踏歌」は、手を繋ぎ足踏みをして拍子を付けながら歌う民間歌舞の形式です。とすれば、汪倫が村人たちを引き連れて皆で李白を見送ったことになります。「千尺」は誇張表現です。水の深さと情の深さを比べるという新鮮味のある奇抜な着想です。舟を出す間際のひとコマを切り取って何の飾り気もなく即興で歌った詩ですが、読む者の心を温め深い余韻を残しています。


「春日憶李白」


唐・杜甫「春日憶李白」
春日しゅんじつ李白をおもう)

白也詩無敵  白 詩 敵無く
飄然思不羣  飄然ひょうぜんとして 思いぐんならず
清新庾開府  清新せいしんは 庾開府ゆかいふ
俊逸鮑參軍  俊逸しゅんいつは 鮑参軍ほうさんぐん
渭北春天樹  渭北いほく 春天のじゅ
江東日暮雲  江東 日暮の雲
何時一尊酒  いずれの時か 一尊いっそんの酒
重與細論文  重ねてともに細やかに文を論ぜん

李白よ、あなたの詩は天下無双、
飄々として誰にも真似はできない。
清新たることは、庾開府(北周・庾信)の如く、
俊逸たることは、鮑参軍(南朝宋・鮑照)のようだ。
ここ渭北はもう春めいて木々が生い茂っている。
あなたは江東で夕暮れの雲を見ているのだろうか。
いつの日かまた一樽の酒を酌み交わしながら、
再び詩文についてじっくり語り合いたいものだ。

✍️
天宝三載(744)の夏、杜甫は洛陽で初めて李白に出会いました。当時、李白は四十四歳、杜甫は三十三歳でした。二人は高適こうせきらと共に梁・宋を巡り、次いで斉の地に遊びながら親交を深めました。杜甫が李白に贈った詩、あるいは李白のことを思慕して歌った詩は十五首残されています。「春日憶李白」は、詩人としての李白を北周の庾信と南朝宋の鮑照に喩えながら最大限に褒め称えています。この詩が歌われた当時、杜甫は渭北(長安近郊)に居を移し、李白は江東(長江下流の地)に流寓していました。杜甫は李白との再会を切に願っていましたが、このあと二人が顔を合わせることはありませんでした。


「哭晁卿衡」


唐・李白「哭晁卿衡」
晁卿衡ちょうけいこうこくす)

日本晁卿辭帝都  日本の晁卿ちょうけい 帝都ていとを辞し
征帆一片繞蓬壺  征帆せいはん 一片 蓬壺ほうこめぐ
明月不歸沈碧海  明月 帰らず 碧海へきかいに沈み
白雲愁色滿蒼梧  白雲 愁色しゅうしょく 蒼梧そうごに満つ

日本の友人晁衡ちょうこうは、唐の都長安に別れを告げて、
ひとひらの帆かけ船に乗り、蓬莱をめぐって去っていった。
明月の珠は碧海に沈んでしまい、もはや帰ることはなく、
白い雲が愁いの気を漂わせながら蒼梧の地に立ちこめている。

✍️
阿倍仲麻呂あべのなかまろは長安に赴き官吏となり、唐名を「晁衡」と称しました。朝廷で李白や王維らと知り合い親交がありました。唐での役人勤めを終え、天宝十二載(753)、帰国の途に就きますが船が難破してしまいます。「哭晁卿衡」は、李白が晁衡の訃報を聞いて詠じた七言絶句です。「蓬壺」は、蓬萊山の別名。東方の海上にあって神仙が棲むという島です。「蒼梧」は、しゅんが巡幸中に崩じて葬られたとされる地です。李白は異国から来た友人の不幸に深い哀悼の意を込めて詩を詠じましたが、晁衡が亡くなったというのは誤報でした。船は安南(今のベトナム)に漂着し、翌々年、晁衡は長安に戻っています。そして再び官職に就き、ついに日本に帰ることなく唐土でその数奇な生涯を終えています。


関連記事


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集