魏晋南北朝時代、「六朝志怪」と呼ばれる怪異小説が盛行しました。
その中から、東晋・干宝撰『捜神記』に収められている「周式」の話を読みます。
「周式」~死亡予定者名簿
周式が舟に乗せてやった役人は、前回投稿した「黒衣の客」の話に出てきた役人と同様、冥土から派遣された「冥吏」です。
これらの話は、中国古代の泰山信仰に基づいています。
泰山(山東省)に冥府(冥土の役所)があり、そこの長官である泰山府君のもとに「冥籍」(人の寿命を記した名簿)があるとされていました。
「どこどこの誰々は某月某日某の刻に幾歳で卒す」云々と書かれた、いわば「死亡予定者名簿」です。
泰山府君の命令を受けた冥吏が、名簿の通りに、寿命の尽きた人間を冥土へ連行していく、それが人の「死」であると考えられていました。
周式のもともとの寿命が尽きた時に、名簿の記載通りに連行しなかったので、冥吏が罰を受けたというわけです。
「黒衣の客」の話と同じように、冥吏は情にほだされやすく、融通が利くことがあります。
周式の場合、叩頭して哀願すると、一度は条件付きで見逃してもらったわけですが、外に出ないという約束を守らなかったので(と言うか、昔は父親の命令は絶対だったので仕方なく外に出て)、二度目は通らなかったという話です。
これによく似た話が、同じく『捜神記』にあります。
ここの男たちもまた冥吏ですが、甥の誠意に免じて叔父を救ってくれるところなどは、なんとも「人間味」があります。
人間の寿命があらかじめ決まっていて、それが文書に記載されているとする発想は、後世までずっと続きます。
明代の『西遊記』では、人・獣・鳥・虫などに分類した「閻魔帳」があり、冥土の使いから寿命が尽きたと告げられた孫悟空が、猿の類に自分の寿命が342歳と記されているのを見て、名前を墨で塗りつぶして大暴れする、というシーンがあります。
さて、このように、寿命は定まっているとは言うものの、情状酌量が期待できたり、強引な変更も可能であったりとなれば、人々はあの手この手で寿命を延ばそうとします。
そこで、冥土の役所とされる泰山の東岳帝廟に延命の祈願をするという発想が起こり、これが儀礼化するようになります。
「請命」は、瀕死の病人が事業の処理や家族の世話のため今暫しの延命を乞うこと、「借寿」は、子供や親族が自分の寿命を減らして父母や族長の延命を乞うこと、「捨身」は、子供が泰山山頂の断崖から投身自殺をして親の延命を乞うことです。
運命は黙って座って待つものではない、あれこれ手を尽くして、何が何でも変えてみせる、という中国人のしたたかさが垣間見えます。