魏晋南北朝時代、「六朝志怪」と呼ばれる怪異小説が盛行しました。
その中から、梁・呉均撰『続斉諧記』に収められている「陽羨鵞籠」の話を読みます。
ちょっとややこしい話ですので、簡単に整理すると、
● 書生が口から少女(書生の妻)を吐き出す。
● 書生が酔って眠ると、少女が口から若い男(少女の愛人)を吐き出す。
● 書生と少女が寝ると、若い男が口から女性(若い男の恋人)を吐き出す。
● 書生と少女が目覚めると、若い男が女性を呑み込む。
● 少女が若い男を呑み込み、書生が少女を呑み込む。
というように、「入れ子構造」になっています。
陽羨の許彦は、この奇妙な出来事の目撃者です。
彼の目の前で、空間・時間共に異常な現象が起きていました。
空間に関しては、人がガチョウの籠に入ったり、人の口から人が出てきたりしています。
これは、大きい物が小さく縮んだのではなく、大きい物が大きいまま小さい物の中に入る、という発想です。
古代中国では、「桃花源記」「枕中記」「南柯太守伝」など、洞中天や壺中天の構造になっている物語が数多くあります。
こうした発想は、中国のみならず、「アラジンと魔法のランプ」「打ち出の小槌」「ドラえもんの四次元ポケット」など、身近にもたくさん例が見つかります。
時間に関しては、東晋の太元年間は西暦376年から396年まで、後漢の永平三年は西暦60年ですから、許彦は張散に約三百年前の銅盤を贈ったことになります。
古い物(骨董品)を贈ったというわけではなく、わざわざ年代に言及しているのですから、三百年間のタイムスリップが起きていたと解釈するのが妥当でしょう。
こうした時間のズレは、仙界や天界など別世界を語る民話や小説にしばしば見られるモチーフです。
「陽羨鵞籠」の話は、魯迅が『中国小説史略』の中で紹介しています。
「六朝之鬼神志怪書」の章で「陽羨鵞籠」の話を引用して、このような幻想的な物語は、中国固有のものではなく、印度伝来のものであろう、と指摘しています。
そして、仏教の経典『旧雑譬喩経』から、次のような話を引いています。
「陽羨鵞籠」の話とまったく同じプロットで、呉均がこれを元に書いたことは明らかです。
後世、清代に至って、この話は「鵞籠書生」と題する古典演劇に改編されています。
また、日本にも伝来して、江戸時代、井原西鶴が『西鶴諸国ばなし』の中で「残る物とて金の鍋」と題して翻案しています。