『世説新語』「劉怜」~李白より始末が悪い呑兵衛
南朝宋・劉義慶撰『世説新語』は、後漢末から東晋までの名士たちの逸話を集めた文言小説集です。
その中から、希代の呑兵衛劉伶のエピソードを読みます。
劉伶は、三国時代の魏から西晋にかけての文人です。
世を避けて「清談」(老荘の哲理を語る高遠な談論)に明け暮れたとされる「竹林の七賢」の一人に数えられています。
酒の功徳を称える讃歌『酒徳頌』を著しています。
『世説新語』「任誕」篇に、劉伶の酒にまつわる逸話が載っています。
劉伶は、今風に言えば、アルコール依存症です。
心配する妻を尻目に、酒浸りの日常を改める気配がありません。
酒は紀元前からありましたが、古代では、主に儀式、祭祀、収穫など特別な機会に飲むものでした。
文人たちが嗜好品として、気分を高めるため、場を盛り上げるため、憂さを晴らすために日常的に飲むようになったのは、魏晋の頃からです。
ですから、世にアル中が登場するのもこの頃です。
60日間泥酔し続けて司馬氏との縁談を避けたという阮籍の話など、「竹林の七賢」を初めとする魏晋の文人には、酒にまつわる奇行の逸話が多く残されています。
同じく「任誕」篇に、次のようなエピソードがあります。
この逸話は、『晋書』「劉伶伝」に、
とあるのを、そのまま演じたようなものです。
「天地と我とは並び生じ、万物と我とは一なり」という荘子の「万物斉同」の思想が根底にあります。
劉伶に限らず、「任誕」篇に登場する人物の逸話には、老荘思想を背景とした脱俗的、反礼教的な処世態度を誇示する演技(パフォーマンス)が見て取れます。
彼らの「傍若無人」な奇行の原因となっているのは、多くの場合、「酒」ですが、もう一つ、看過できないのが「薬」の使用です。
魯迅が「魏晋の気風および文章と薬および酒の関係」と題する講演(1927)の中で語っているように、「五石散」という薬物が、当時、文人たちの間で流行していました。
文字通り、「五石」すなわち、5種類の鉱物(石鍾乳、紫石英、白石英、石硫黄、赤石脂)を材料として精製します。
「散」というのは、服用すると発熱し、その熱を散じるために歩き回ることを言い、「散歩」の語源になっています。
五石散は、一種の麻薬です。毒性が強く、服用者の身体のみならず、性格や気性にも影響を与え、常軌を逸した行動を誘発することがあります。
上の絵のように、晋代の文人たちがみな帯を緩めてダブダブの服を着ていたのは、五石散を飲んでいると、発熱や痒みで身体にぴったりとした服を着用することができないからだと言われています。
冠を脱いで髪を振り乱したり、両足を投げ出して座ったりというのも、礼教道徳に対する反駁云々という以前に、薬物が引き起こす生理的な反応による振る舞いとも言えるのです。
劉伶の逸話の場合も、飲酒や老荘思想に加えて、五石散の副作用で皮膚が剥けやすく痒いために衣服を脱いでいたということも併せて考えられます。
当時、麻薬は法を犯すものではなく、むしろ、粋な文人としてのステータスシンボルのようなものでしたから、知識階級の多くの者が好んで常用していました。
さて、酒の話に戻りましょう。
酒は気分を昂揚させるものですが、昂揚しすぎて一年中羽目を外していたのが、李白です。
中国の詩人は、多かれ少なかれ、みな酒飲みですが、李白ほどそのイメージが酒と結びついている詩人はほかにいないでしょう。
一斗の酒で立ち所に詩を百篇作ったとか、酒場で酔いつぶれて天子がお召しでも参内しなかったとか、泥酔して宦官の侍従長高力士に靴を脱がせたとか、酒にまつわるエピソードが山ほどあります。
李白に「友人會宿」と題する詩があります。
友人がやって来て泊まり込み、しこたま飲んで酔いつぶれたという詩です。
――千古の愁いを洗い流さんとして、
いつまでも居座って、百壺の酒を飲む。
明月の今宵は、清談するのにふさわしく、
白く輝く月光の下、寝てなどいられない。
酔いが回り人気のない山中に横たわれば、
天は布団、大地は枕だ。
この最後の一句は、劉伶の「酒德頌」の中で、大人先生について、
と語っている句に基づいたもので、先に挙げた劉怜の「天地がわが家」云々という逸話とも同じ発想です。
ちなみに、李白に「内に贈る」と題する詩があります。
――一年三百六十日、
わしは毎日酔っぱらって泥のよう。
お前は、この李白の女房とはいうものの、
かの太常の嫁さんとちっとも変わらないね。
後漢の周沢は太常(天子の宗廟の廟守)となって、1年360日のうち359日は精進潔斎して妻を遠ざけ、残りの1日は酔って泥のようになった、と伝えられています。
この李白の詩は、「わしの女房になってしまっては太常の嫁さんと同じだね、いつもかまってやらなくてゴメンね」という懺悔の詩です。
さて、劉伶はと言えば、女房をまんまと騙して、まるで反省も改心もありません。
李白と劉怜、始末の悪さでは劉伶の方が一枚上手かもしれません。