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『世説新語』「劉怜」~李白より始末が悪い呑兵衛

南朝宋・劉義慶撰『世説新語せせつしんご』は、後漢末から東晋までの名士たちの逸話を集めた文言小説集です。

『世説新語』

その中から、希代の呑兵衛劉伶りゅうれいのエピソードを読みます。

劉伶は、三国時代の魏から西晋にかけての文人です。
世を避けて「清談」(老荘の哲理を語る高遠な談論)に明け暮れたとされる「竹林の七賢」の一人に数えられています。

酒の功徳を称える讃歌『酒徳頌』を著しています。

『世説新語』「任誕」篇に、劉伶の酒にまつわる逸話が載っています。

劉伶は酒に病んでいた。

酒が切れて、もうどうしようもなくなり、妻に酒を求めた。

すると、妻は家中の酒を捨て、酒器を割って、涙ながらに夫を諫めた、
「あなた、いくらなんでも飲み過ぎです。養生の道から外れています。
どうかお願いですから、お酒を断って下さい!」

劉伶は答えた、
「そりゃ、結構だが、わし独りでは酒断ちできる気がせん。
そうだ、神霊に誓いを立てて酒断ちすることにしよう。
よし、神霊を祀るから、急いで酒と肉を用意してくれ」

妻は、「かしこまりました」と喜び、祭壇に酒と肉を供えた。

そして、劉伶を促した、「さあ、あなた、誓いを立てて下さい」

すると、劉伶は跪いて、こう唱えだした、


  天生劉伶  天が世に劉伶を生んだのは
  以酒爲名  酒飲みの名を為さしむため
  一飲一斛  一たび飲めば 一こくを干し
  五斗解酲  二日酔いは 五斗で迎えん
  婦人之言  女房のほざく戯れ言なんぞ
  愼不可聽  どうして聴いてやるものか 

唱え終わると、酒を引き寄せ肉を喰らい、べろべろに酔いつぶれた。

劉伶は、今風に言えば、アルコール依存症です。
心配する妻を尻目に、酒浸りの日常を改める気配がありません。

酒は紀元前からありましたが、古代では、主に儀式、祭祀、収穫など特別な機会に飲むものでした。

文人たちが嗜好品として、気分を高めるため、場を盛り上げるため、憂さを晴らすために日常的に飲むようになったのは、魏晋の頃からです。

ですから、世にアル中が登場するのもこの頃です。

60日間泥酔し続けて司馬氏との縁談を避けたという阮籍の話など、「竹林の七賢」を初めとする魏晋の文人には、酒にまつわる奇行の逸話が多く残されています。

同じく「任誕」篇に、次のようなエピソードがあります。

劉怜は年中酒浸りで、放埒に振る舞っていた。

ある時、衣を脱いで素っ裸になって部屋にいた。

それを見かけた人がふしだらだと咎めると、劉怜は言った、
「わしは天地を家とし、 部屋を褌(ふんどし)としている。
君ら、なんでわしのふんどしの中に入って来たのだ!」

この逸話は、『晋書』「劉伶伝」に、

情を放ち志をほしいままにし、常に宇宙をこまかとし、万物をひとしとするを以て心と為す。

とあるのを、そのまま演じたようなものです。

「天地と我とは並び生じ、万物と我とはいつなり」という荘子の「万物斉同」の思想が根底にあります。

劉伶に限らず、「任誕」篇に登場する人物の逸話には、老荘思想を背景とした脱俗的、反礼教的な処世態度を誇示する演技(パフォーマンス)が見て取れます。

彼らの「傍若無人」な奇行の原因となっているのは、多くの場合、「酒」ですが、もう一つ、看過できないのが「薬」の使用です。

魯迅が「魏晋の気風および文章と薬および酒の関係」と題する講演(1927)の中で語っているように、「五石散」という薬物が、当時、文人たちの間で流行していました。

文字通り、「五石」すなわち、5種類の鉱物(石鍾乳、紫石英、白石英、石硫黄、赤石脂)を材料として精製します。

「散」というのは、服用すると発熱し、その熱を散じるために歩き回ることを言い、「散歩」の語源になっています。

五石散は、一種の麻薬です。毒性が強く、服用者の身体のみならず、性格や気性にも影響を与え、常軌を逸した行動を誘発することがあります。

竹林の七賢

上の絵のように、晋代の文人たちがみな帯を緩めてダブダブの服を着ていたのは、五石散を飲んでいると、発熱や痒みで身体にぴったりとした服を着用することができないからだと言われています。

冠を脱いで髪を振り乱したり、両足を投げ出して座ったりというのも、礼教道徳に対する反駁云々という以前に、薬物が引き起こす生理的な反応による振る舞いとも言えるのです。

劉伶の逸話の場合も、飲酒や老荘思想に加えて、五石散の副作用で皮膚が剥けやすく痒いために衣服を脱いでいたということも併せて考えられます。 

当時、麻薬は法を犯すものではなく、むしろ、粋な文人としてのステータスシンボルのようなものでしたから、知識階級の多くの者が好んで常用していました。


さて、酒の話に戻りましょう。

酒は気分を昂揚させるものですが、昂揚しすぎて一年中羽目を外していたのが、李白です。

中国の詩人は、多かれ少なかれ、みな酒飲みですが、李白ほどそのイメージが酒と結びついている詩人はほかにいないでしょう。

一斗の酒で立ち所に詩を百篇作ったとか、酒場で酔いつぶれて天子がお召しでも参内しなかったとか、泥酔して宦官の侍従長高力士に靴を脱がせたとか、酒にまつわるエピソードが山ほどあります。

李白に「友人會宿」と題する詩があります。
友人がやって来て泊まり込み、しこたま飲んで酔いつぶれたという詩です。

滌蕩千古愁  滌蕩てきとうす 千古の愁い
留連百壺飲  留連す 百壺の飲
良宵宜清談  良宵 宜しく清談すべく
皓月未能寢  皓月こうげつ 未だいぬる能わず
醉來臥空山  酔い来りて 空山に臥せば
天地即衾枕  天地 即ち衾枕きんちんなり

――千古の愁いを洗い流さんとして、
いつまでも居座って、百壺の酒を飲む。
明月の今宵は、清談するのにふさわしく、
白く輝く月光の下、寝てなどいられない。
酔いが回り人気ひとけのない山中に横たわれば、
天は布団、大地は枕だ。

この最後の一句は、劉伶の「酒德頌」の中で、大人先生について、

天を幕とし地をむしろとし、意のく所をほしいままにす。

天を屋根とし大地を敷物とし、行きたい所へ意のままに赴いた。

と語っている句に基づいたもので、先に挙げた劉怜の「天地がわが家」云々という逸話とも同じ発想です。

ちなみに、李白に「つまに贈る」と題する詩があります。

三百六十日  三百 六十日
日日醉如泥  日日酔うて泥の如し
雖爲李白婦  李白のつま為りと雖も
何異太常妻  何ぞ異ならん 太常たいじょうの妻に

――一年三百六十日、
わしは毎日酔っぱらって泥のよう。
お前は、この李白の女房とはいうものの、
かの太常の嫁さんとちっとも変わらないね。

後漢の周沢しゅうたくは太常(天子の宗廟の廟守)となって、1年360日のうち359日は精進潔斎して妻を遠ざけ、残りの1日は酔って泥のようになった、と伝えられています。

この李白の詩は、「わしの女房になってしまっては太常の嫁さんと同じだね、いつもかまってやらなくてゴメンね」という懺悔の詩です。

さて、劉伶はと言えば、女房をまんまと騙して、まるで反省も改心もありません。

李白と劉怜、始末の悪さでは劉伶の方が一枚上手かもしれません。



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