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『世説新語』「阮籍」~狂態に秘めた真意

南朝宋・劉義慶撰『世説新語せせつしんご』は、後漢末から東晋までの名士たちの逸話を集めた文言小説集です。

『世説新語』

その中から、魏の阮籍げんせきのエピソードを読みます。

阮籍、字は嗣宗しそう。魏に仕えて歩兵校尉となり、世に阮歩兵と呼ばれます。
俗世を避けて「清談」(老荘の哲理を語る高遠な談論)に明け暮れたという「竹林の七賢」の筆頭に数えられる人物です。

阮籍には、数々の狂態を物語るエピソードが残されています。どれも常軌を逸した放誕な振る舞いを伝える話ですが、単なる風変わりで面白可笑しい話として片付けることはできません。

狂態を呈する奇行の裏には、阮籍なりの真意が秘められていて、険難な時代に生きた知識人の処世術が反映されているのです。

『世説新語』や正史『晋書』などに記された阮籍の逸話には、礼教に反した言動や訳の分からない奇っ怪な行為を語るものが多く見られます。

『世説新語』「簡傲」篇に、次のような逸話があります。

晋の文王(司馬昭)はたいそう羽振りが良く、その宴席は厳かで王者まがいであった。ただ阮籍だけは、その座にいても足を投げ出して嘯き歌い、酔っ払って平然と振る舞っていた。

 『晋書』「阮籍伝」には、さらに、以下のような逸話が見えます。

司馬昭は、息子の司馬炎と阮籍の娘との婚姻を求めたが、阮籍はそれを避けるため60日間ずっと酒に酔い続け、縁談を切り出す機会を与えなかった。

阮籍は、礼教を重んじる俗物には「白眼」を以て接した。嵇喜けいきが弔問にやって来たが、阮籍に白眼視され、不愉快になって辞去した。弟の嵇康けいこうが酒を携え琴を抱えてやって来ると、阮籍は大いに喜び、「青眼」で迎えた。

時として気の向くまま独りで馬車に乗り、行く当てもなくただ馬を走らせ、行き止まりになると慟哭して引き返した。 

阮籍

阮籍のこうした狂態は、一種の自己防衛、カモフラージュであり、狂気を装うことで自らを無用者に見せかけて、自分に対する政治の風波を避けようとした韜晦的な手段、いわば「明哲保身」の処世術であるとされています。

同じく『晋書』「阮籍伝」に、次のように記されています。

阮籍は、もともとは経世済民の志を抱いていた。しかし、魏晋の王朝交代の際には、政争による禍が多く、名士たちで命を全うできた者は少なかった。そこで、阮籍は政治に関与せず、日々酒に酔って暮らした。

もともとは済世の志を抱いて政界に身を置いた阮籍も、乱世にあっては初志を貫くことは難しく、政治に関わらずに酒浸りの生活を送った、と記されています。 

北宋・葉夢得『石林詩話』の中に、晋代の知識人たちの飲酒について示唆的な一節があります。

晋代の人々はしばしば酒を話題にし、泥酔する者もいるが、その目的は必ずしも酒自体にあるわけではない。思うに、険難な時世にあって、人々は禍を恐れ、酔態にかこつけて政治から遠ざかろうとしたのだ。飲んでも必ずしも度を越して飲むわけではなく、酔っても必ずしも本当に酔うわけではない。

酒に酔うことは、災厄を避けるための手段であり、その目的が達せられればよいわけであるから、人々は必ずしも本当に暴飲したり泥酔したりしたわけではなく、ただそのふりをしていただけなのだ、と語っています。

竹林の七賢


さて、阮籍は、葬礼においても、世の礼法に従わない狂態を演じています。

『世説新語』「任誕」篇に、母親の葬儀で泥酔して髪を振り乱し、両足を投げ出したまま弔問客に応対した、という逸話があります。

母親の喪中にも似たような振る舞いをしている様子が、同じく「任誕」篇に記されています。

阮籍は、母親の喪中、晋の文王の宴席で酒を飲み肉を食べていた。司隷校尉の何曾かそうがその場にいて、文王に進言した、
「殿は今や孝の徳を以て天下を治めておられます。然るに、阮籍は親の喪中であるにもかかわらず、殿の御前で酒を飲み肉を喰らっております。国外に追放して風教を正されるのが宜しいかと存じます」
文王は言った、「嗣宗は疲れて憔悴しておるのじゃ。そなたが憂いを分かち合えないとはどういうことだ。しかも、病気になって酒を飲み肉を食うのはそもそも喪礼のうちではないか」
その間、阮籍は平然として飲み食いしたまま、顔色一つ変えなかった。

阮籍は、服喪中であるにもかかわらず、司馬昭の座に在って酒を飲み肉を食らって泰然自若としていたという話です。

ここでの阮籍の狂態は、もはや韜晦を意図するものではありません。

阮籍は、司馬昭が自分に危害を加えないことをわかった上で、こうした振る舞いをしているのですから、これはむしろ、老荘流の文人としての生き方を顕示するためのパフォーマンスと解釈した方がよいでしょう。

阮籍が忌み嫌ったのは、形骸化した礼教道徳の虚偽性です。

とりわけ、父母の葬儀や服喪は、儒家の礼教道徳において極めて重要な儀礼であるゆえに、それをないがしろにする態度は、脱俗的、反礼教的な姿勢を示すには、最も効果的な宣伝になります。

阮籍を初めとする魏晋の知識人の狂態は、政界で被る危難を回避するためのカモフラージュである一方、老荘思想を体現する自己顕示のパフォーマンスでもあるのです。

また、前回劉怜の記事で触れたように、当時の文人の奇行には、「五石散」という麻薬の流行も直接関わっています。

魏晋は、中国思想史の上で、とりわけ特異な時代です。

『世説新語』には、この時代の精神文化のエッセンスが凝集されています。

一見すると、風変わりな男たちの面白可笑しい逸話の寄せ集めみたいなものですが、実は、一つ一つの逸話には裏があって、とても読み応えのある書物です。



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