「傍若無人」と「嘯」
「傍若無人」は、訓読すれば「傍らに人無きが若し」。原義は「周りに人がいても存在しないかのごとく、ただ自分のことだけに集中しているさま」、派生義は「他人を眼中に置かない高慢な態度」である。
古代の「傍若無人」の言動に一つ特徴的なのは、しばしば「嘯」(しょう)という行為が伴うことである。
「嘯」は、口笛を吹くようにして口をすぼめ長く息を吐いて音を出すこと、あるいはそのようにして詩歌を吟ずることを言う。
一種の音楽形式であり、古くは『詩経』で女性の怨みや悲しみを表す歌唱であった。『楚辞』では、招魂の呪法に伴う歌となり、のちには道術や養生術とも関わりを持つようになる。
魏晋以降には、名士たちの間で口技として流行したが、それは単なる娯楽的な技芸ではなかった。
唐・封演『封氏聞見記』巻五に、
とあるように、ある種の感情表現が伴い、多くの場合、その背景に思想的な意味合いを含んでいた。
『世説新語』では、「簡傲」篇の中に「嘯」字の用例が多く見られる。
第一話は、阮籍が主君司馬昭の座にあってただ独り酔っぱらって平然としていたという逸話である。
「箕踞」は、正座をせずに両足を投げ出したままの座り方である。そうした礼儀作法に則らない座り方をしながら「嘯歌」したとある。
第八話は、主君桓温の座での謝奕の振る舞いを記している。
「岸幘」は、頭巾を後ろに傾けて額を露出させることであり、そうした礼法に反した放埒な態度で「嘯詠」したとある。
これらの他、「簡傲」篇およびその他各篇に見られる「嘯」の用例を以下にいくつか挙げる。
このように、「嘯」は「箕踞嘯歌」「岸幘嘯詠」「嘯詠自高」「傲然嘯吟」など衆目を眼中に置かない行為や傲り高ぶった行為に伴うことが多い。
一方、王徽之の賞竹や謝安の海遊の話では、「諷嘯」「吟嘯」によって周囲を気にせず悠然と構えた風情や物に動じない度量を表し、飄逸とした雰囲気を醸し出している。
『世説新語』の中で、「嘯」そのものを話の中心とする逸話として「棲逸」篇の第一話にある阮籍と蘇門山の真人の話が知られている。
阮籍が「嘯」の名手であったことは、『晋書』の伝にも「酒を嗜み能く嘯し、善く琴を弾ず」とある。
その阮籍が蘇門山に隠れ棲む真人を訪ね、太古の歴史、無為の思想、仙道の法術など高尚で超俗的な話題を問いかけたが、真人は一切反応しない。
そこで、阮籍が長嘯すると、真人は初めて反応を示し、帰途につく阮籍に向かって自らの嘯声を返したという。
また、晋・成公綏の「嘯賦」(『文選』巻十八)には、逸群公子という架空の貴公子が登場する。
逸群公子は、俗世から遠く離れて独り先覚し、遥か天の道を仰ぎ見て我が身を忘れ感極まって長嘯する。
「嘯」は、世俗から超脱した精神、高踏的な境地に遊ぶ精神を象徴する行為である。意思伝達の媒体としては、言語を超えた究極の言語であり、また、処世の志向を示す所作としては、超俗を超えた究極の超俗を象徴するものなのである。
のち、東晋の陶淵明の詩文にも「嘯」字が用いられている。
「帰去来の辞」に、
とあり、また「飲酒」(其七)の末尾にも、
とある。
帰隠に際して、俗世と訣別して悠々自適の生活を送ろうとする心境を象徴的に表現する行為が「嘯」であった。
総じて、魏晋の名士や詩人たちによる「嘯」の行為は、自らを超俗的な位置に置いて俗世界と一線を画す意味合いを含んでいた。
「嘯」を伴った「傍若無人」の「人」は、俗人を指すものであり、ひいては俗世界そのものを指している。「傍若無人」の逸話に「嘯」がしばしば現れるのは、決して偶然ではないのである。