中国には、六朝時代から清代まで、怪異小説の系譜があります。
その中からよく知られている作品を取り上げて、全文を翻訳し、解説を加えました。
第1話は、東晋・干宝撰『捜神記』に収められている「宋定伯」の話を読みます。
「宋定伯」~マヌケな幽霊
この「宋定伯」の話は、高校の漢文教材に採録されることもあり、日本でもよく知られています。
原文の「鬼」は「オニ」ではなく「キ」と読みます。「人」(生きている人間)に相対するもの、つまり死んだ人、幽霊のことです。
中国の幽霊は、地域、時代、背景の宗教や民間信仰などによって様々ですが、大きく分ければ、「怖い」タイプと「怖くない」タイプがあります。
「宋定伯」に登場する幽霊は、怖くないタイプの典型的な例です。
怖くないタイプの幽霊は、マヌケで人に騙されたり、情にほだされたり、と「人間的」なところがあって、姿形も生きている人間とまったく同じ格好で現れます。
「宋定伯」の話では、幽霊の重さについて触れています。中国の民間信仰では、幽霊にも新米とベテランがいて、死んだばかりの幽霊は大きくて重く、時間が経つにつれて小さく軽くなる、とされていました。
幽霊には苦手なものがたくさんあります。「宋定伯」の話では、人の唾が苦手とされていますが、これは、唾液の殺菌力によるものです。古来からの生活の知恵で、怪我をすると傷口に唾を付けますが、そのため唾には辟邪の力があると信じられるようになりました。
他の話では、幽霊は、人の息、小便、糞、桃、茱萸、鏡、雄黄、鶏鳴、墨縄などにも弱いとされています。
また、邪悪な幽霊を退治する僧侶、道士、神(鐘馗、関公、包公など)の話もたくさんあります。
「石崇がこう語った」云々という一文が最後に付いていますが、これは話に信憑性を持たせるための常套文句です。志怪小説は、いかに荒唐無稽な話でも、事実を記録したものという建前で書かれています。石崇は西晋の大富豪です。かの有名な石崇が語ったことなのだから、この話は本当の話なのだ、というわけです。
怖いタイプの幽霊については、後日また投稿したいと思います。💀
中国怪異小説 ②~⑯