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【心に響く漢詩】孟浩然「過故人莊」~隠遁暮らしの友を尋ねて

 過故人莊  故人こじんそうよぎ
                    唐・孟浩然もうこうねん
故人具鶏黍  故人こじん 鶏黍けいしょそろ
邀我至田家  われむかえて田家でんかいたらしむ 
緑樹村邊合  緑樹りょくじゅ 村辺そんぺんがっ
青山郭外斜  青山せいざん 郭外かくがいななめなり
開軒面場圃  けんひらきて場圃じょうほめん
把酒話桑麻  さけりて桑麻そうまはな
待到重陽日  ちていた重陽ちょうよう
還来就菊花  たりて菊花きくかかん

孟浩然

孟浩然もうこうねん( 689~740)は、盛唐の詩人です。
かの「春眠しゅんみん あかつきおぼえず」と歌う五言絶句「春暁しゅんぎょう」でよく知られています。

孟浩然は、官途に不遇で、郷里襄陽じょうよう(湖北省)の鹿門山ろくもんざんで隠遁生活を送りました。

俗世から離れた高雅な境地を明朗清爽な山水景物の詩に歌っています。

「過故人莊」は、村里に住む友を尋ねた時のことを歌った五言律詩です。

故人こじん 鶏黍けいしょそろ
われむかえて田家でんかいたらしむ

――古い友人が、鶏や黍の料理を用意して、
わたしを家に招いてくれた。

緑樹りょくじゅ 村辺そんぺんがっ
青山せいざん 郭外かくがいななめなり

――緑あざやかな木々が、村の周りに繁り、
青々とした山が、城郭の外に斜めに連なっている。

けんひらきて場圃じょうほめん
さけりて桑麻そうまはな

――窓を開いて庭先を眺めながら、
酒杯を手にして桑や麻のことを話す。

「場圃」は、脱穀場と菜園。農家の庭先で、脱穀などの農作業をしたり野菜を植えたりする場所を言います。

ちていた重陽ちょうよう
たりて菊花きくかかん

――重陽の節句になったら、
再び訪れて、菊花を愛でたいものだ。

重陽の節句(陰暦九月九日)には、小高い丘に登って、菊花を愛で、菊花酒を飲んで厄を払う風習があります。

清末・呉昌碩「菊花圖」(部分)

「故人」(古くからの親友)が誰を指すのかは不明です。

と言うより、そもそも古典詩では、固有名詞(人名、官職名など)が記されていない人物は、多くの場合、架空の人物です。

「家に招かれた」というのも、実際にあったことではなく、おそらく虚構でしょう。

ですから、この詩は、作者孟浩然と同様に山中に隠遁暮らしをしている人物を設定し、隠者同士の気ままな交友を描いたフィクションと考えればよいでしょう。

劉勝角書「過故人莊」

孟浩然の詩は、言葉が平明で温かみを感じさせる趣があるのが特長ですが、「過故人莊」は、その典型的な例と言えます。

これと似通った趣向の詩は、歴代数多くあります。

東晋・陶淵明とうえんめいの「歸園田居きえんでんきょ」(五首)の其二に、隠居暮らしの詩人が近くの農民と出会って挨拶代わりの会話をする場面を歌って、

相見無雜言 あいて 雑言ざつごん
但道桑麻長 う 桑麻そうまちょうずと
(顔を合わせても余計な話はせず、ただ桑や麻の成長を語るだけだ)

とあります。

また、南宋・陸游りくゆうの「遊山西村」(山西さんせいむらあそぶ)に、詩人が郷里の村を訪れ、村人から心温かいもてなしを受ける場面で、村人のセリフに、

莫笑農家臘酒渾 わらかれ 農家のうか臘酒ろうしゅにごれるを
豐年留客足鷄豚 豊年ほうねん きゃくとどめて 鶏豚けいとん
(農家の冬仕込みの酒が濁り酒だからと笑ってはいかん。去年は豊作、客人を引き留めるのに鶏も子豚も十分あるぞ)

とあります。

いずれも、余計な気遣い無用の純朴な人と人との交わりが描かれています。

世知辛い現代社会で都会暮らしをしていると、こうした農村の長閑な情景は、ひと時の清涼剤のように、ほっと心を和ませてくれます。


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