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中国古代の人間学~「君子」と「小人」


論語

「君子」と「小人」

 「君」は、領地・領民を持つ主権者のこと。「子」は、男子の尊称。
 「君子」とは、元来は、為政者、あるいは統治階級の貴族の男子を指す。広くは、完成された人格を持つ人、有徳の人、立派な人、という意味だ。

 『論語』の「子路」篇に、次のような一節がある。 

君子(くんし)は和(わ)して同(どう)ぜず、小人(しょうじん)は同じて和せず。
立派な人間は、人と調和するけれども、付和雷同はしない。
つまらない人間は、付和雷同するだけで、人と調和することがない。

 「和すること」と「同ずること」は、似て非なるものだ。
 「和」は、調和の「和」。一方、「同」は、雷同の「同」。

 智徳を備えた立派な人間である「君子」は、周囲の人々と調和して、なごやかに付き合うことができる。しかし、しっかりとした主体性を持っているので、決して軽々しく雷同することはない。

 この「君子」と正反対なのが「小人」だ。「小人」は、元来、身分の低い者を指すが、そこから派生して、人格の低い者、つまらぬ者をいう。

 智徳に欠けるつまらない人間である「小人」は、自分自身の考えを持たないので、ただ妄りに迎合するばかりで、周囲の人々とうまく調和することができない。

君子の社会、小人の社会

 社会に生きる人間として、他人と協調することは大切だが、それは必ずしも意見を同じにすることではない。

 「こんなことを言ったら嫌われてしまう」「仲間外れにされてしまう」と恐れるあまり、周りの人々と口を揃えているだけというのは、ただの同調であって、協調ではない。

 孔子は、同調することしかできない人間を「小人」と呼んでいる。
 「小人」同士の繋がりは、信頼関係の上に成り立っているわけではないので、とても脆い。

孔子

 「君子」は、周りの人々に気兼ねすることなく、自分の意見をはっきりと言う。言いたいことを遠慮なく言うわけであるが、決して我を通して自分の意見を他人に押しつけるわけではない。

 人にはそれぞれ考え方があることを理解し、そうした異なる考え方を尊重した上で、自分の主張や立場を明確にする。互いの違いを認め合いながら、反目することなく、穏やかに、仲良く共生していけるのが、「君子」同士の付き合いだ。

 学校でも会社でも、さまざまな個性を持った人間がいる。その一人一人の個性がきちんと保たれたまま、一つの集団としてうまく機能しているというのが、共同体としての理想的な姿だ。

 オーケストラの場合でも同じことで、一つの音色だけでなく、いろいろな音色が互いに響き合ってこそ、美しいハーモニーを奏でることができる。

「義」をとるか、「利」をとるか

 『論語』の「里仁」篇で、孔子は、同じく「君子」と「小人」を並べて、次のように語っている。

君子は義(ぎ)に喩(さと)り、小人は利(り)に喩る。
立派な人間は、道義に敏感である。
つまらない人間は、利益に敏感である。 

 物事を行うに当たって、「君子」は、それが道義にかなっているか否かを何よりも先に考える。損得は度外視して、正しいことは進んで行い、正しくないことは決して行わない、という筋の通った生き方をする。

 一方、「小人」は、それが利益を生むか否かを第一に考える。専ら損得によって左右され、ことの善し悪しは関係なく、自分が損することはやらず、得することなら何でもやる、という無節操な生き方をする。

 つまり、「君子」は「義」に基づいて行動し、「小人」は「利」に基づいて行動する。両者は、まったく違った価値観を持つので、一つ一つの物事について、それをするかしないかの判断基準がまったく異なる。 

君子としての自己修養

 このほかにも、『論語』の中では、しばしば「君子」と「小人」を対比して登場させ、孔子の考える立派な人間とそうでない人間の違いを浮き彫りにしている。

君子は泰(やす)らかにして驕(おご)らず、小人は驕りて泰らかならず。
立派な人間は、ゆったりと落ち着いていて驕らない。
つまらない人間は、すぐに驕り高ぶって落ち着きがない。
――「子路」篇

君子は諸(これ)を己(おのれ)に求(もと)め、小人は諸を人(ひと)に求む。
立派な人間は、つねに自らを反省して自己修養に努める。
つまらない人間は、何事も人に責任をなすりつけようとする。
――「衛霊公」篇

君子は上達(じょうたつ)し、小人は下達(かたつ)す。
立派な人間は、さらに上に向かって進み続ける。
つまらない人間は、下へ下へとなりさがっていく。
――「憲問」篇


 そもそも「君子」と「小人」という言葉は、元来、君主と庶民、すなわち統治階級と被統治階級を指すものであった。

 君主の徳によって庶民を教化するという孔子の徳治主義に由来する概念である。

 つまり、「君子」とは、人の上に立つ人物の理想像として掲げられたものであるから、そうした人間になるのは容易なことではない。たゆまぬ努力と自己修養が必要とされるのである。

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