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『水滸伝』の英雄豪傑④~武松

中国明代の長編小説『水滸伝』には、数多の英雄豪傑が登場します。
その中から代表的な人物を何人か選んで取り上げます。

第4回は、武松(ぶしょう)です。

『水滸伝』については、以下をご参照ください。


武松

渾名は、行者ぎょうじゃ。酒好きの大男で、虎退治で知られる。潘金蓮はんきんれん西門慶せいもんけいに殺された兄武大ぶだいの仇を討つ。

武松は世間を渡り歩き、見識が広く、抜け目がない。人に頼らず一人きりで多くの敵と戦う一匹狼のような豪傑である。

武松の豪壮勇猛なさまは、魯智深ろちしんとよく似ている。しかし、武松の周到さは魯智深の及ぶところではない。

武松は策略に長け、行動が綿密である。大きな事をする時には、いつも前後の計画をしっかりと立てた上で行動を起こす。

兄武大が兄嫁潘金蓮とその愛人西門慶に毒殺されると、武松は怒りを爆発させずにじっくりと復讐の計画を練る。まず、二人の不倫関係を隣近所の者から聞き出し、綿密に殺害の証拠を集め、窃かに紙・筆・墨、そして供養の道具一式を買い揃え、周到な準備をする。そして、家の表も裏も入り口を人で塞いで出入りができないようにした上で潘金蓮を問い詰め、巧みな誘導尋問で武大を謀殺した口供を取ると潘金蓮を血祭りに上げる。その後、西門慶が帰宅するのを待ち伏せして打ち殺すと、仇の生首を兄の霊前に供える。復讐を果たすと、県の役所に出向いて自首する。このように、武松はすべて計画通りに一つ一つ実行していくのである。

武松は、自負心が強く、虎退治の手柄をつねに口にする。酒を飲み過ぎてしょう門神もんしんを懲らしめられなくなるのを施恩しおんが心配すると、武松は笑って言う。

酔って腕が振るえないとご心配のようだが、俺は酒が入らないと腕が振るえないのだ。一分の酒なら一分の力、五分の酒なら五分の力。十分の酒を飲んだら、どこから出てくるのかわからぬほどの力だ。酔って肝が太くなったからこそ、景陽岡であの虎を退治できたのだ。あの時はべろべろに酔っていたから、よく手が出て力が湧いて勢いがついたのだ。

囚人となり、牢役人が袖の下を渡さないのをなじると、武松は面と向かって言い返す。

これはまたえらい剣幕で。俺さまから袖の下をせびったところで、びた一文ありゃしない。この拳なら左右揃えてくれてやるぜ。金はあっても、自分が酒買って飲むためのものだ。

典獄(刑務所長)が武松を棒叩きにしようとすると、武松は言う。

寄ってたかってバタバタ騒ぐんじゃねえ。叩くんなら叩きやがれ。手足なんぞ押さえなくて結構だ。棒の一つでもよけたりしたら男じゃねえ。その時は叩き終わった分はご破算にして、はじめから叩き直してもらおうじゃないか。呻き声を立てても、それも男じゃねえ。叩くならビシビシやってくれ。手加減されると胸くそ悪くなる。

武松の言葉の中には、世間を渡り歩いている者の機転の良さが表れている。かつて|東京とうけいへ旅立つ前、武松は武大の面前で潘金蓮に向かって言う。

ねえさんは利口なお人だから、わたしがいちいち言わなくてもおわかりと思いますが、兄さんは正直なだけの人だから、何かにつけて嫂さんに世話をやいてもらわなければなりません。諺にも『家は表より内が大事』と言うでしょう。嫂さんがしっかり家を守ってくれれば、兄さんは何も心配せずにやっていけるんです。昔の人も『垣根が高けりゃ犬は入らぬ』と言うじゃありませんか。

このセリフは、一字一句に皮肉が込められている。義理の弟としての分もきちんとわきまえながら、潘金蓮に対する警告となっている。

こうした柔らかい中にも棘のある話し方は、魯智深には真似のできるものではなく、ましてや李逵りきなどではとうてい無理である。

『水滸伝』の英雄豪傑は誰もみな個性的であるが、とりわけ武松は、武勇と知性を兼ね備え、一筋縄ではいかない独特の魅力がある。

庶民に人気があり、武松の故事は映画やドラマになり、特に虎退治の故事「武松打虎」は京劇の演目にもなっている。
 

武松(歌川国芳画)



中国映画『タイガーハンター水滸外伝』(予告編)


中国ドラマ『水滸英雄志』第一集


京劇「武松打虎」


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