「柳暗花明又一村」 の行方
陸游「遊山西詩」
陸游(号は放翁)は、南宋を代表する詩人です。
「遊山西村」(山西の村に遊ぶ)と題する七言律詩があります。
乾道3年(1167)、陸游 43 歳、隆興府(江西省)の通判(副知事)を免職になり、郷里(浙江省紹興)に田舎暮らししていた時の作です。
――(村人)「農家の酒が濁り酒だからとて、馬鹿にしてはいかん。
去年は豊作、客人をもてなすのに、鶏も子豚もたっぷりあるぞ」
山々が連なり、川が幾重にも曲がり、もう行き止まりかと思ったら、
柳がほの暗く茂り、花が明るく咲くあたりに、また一つ村里が現れた。
笛や太鼓の音が追ってくるように聞こえてくるのは、春祭りが近いからだ。
村人たちの衣服や帽子は、簡単素朴で昔ながらの体裁のままだ。
(陸游)「また暇な折りに月明かりに乗じてやって来てもよろしければ、
杖をついて、いつとはなく気ままに、夜、あなた方の家の門を叩きますぞ」
最初の2句は、ふらりとやって来た作者陸游を迎えた村人の歓迎のセリフ、最後の2句は、村人のもてなしを受けて暇乞いを告げる陸游のセリフという洒落た構成になっています。
「柳暗花明」の行方
「遊山西村」は、日本では知名度がありませんが、中華圏では準メジャー級によく知られている詩です。
とりわけ、第4句「柳暗花明又一村」が有名で、「柳暗花明」は、現代中国語でも四字熟語として使います。
『現代漢語詞典』(商務印書館)では、「柳暗花明」の語釈は、次のように記されています。
原義は「柳と花の春景色」というように、陸游の詩句の意味に沿ったものですが、派生義は「困難の中で希望を見出すこと」というように、もとの詩句を歪曲して教訓的、効用的な含意を加えたものになっています。
現代中国語では、「苦境から新たな局面が切り開かれる」「行き詰まった状態から転機が訪れる」というような派生義で使われることの方が圧倒的に多くなっています。
「嗚呼、絶体絶命!人生終わった」と落ち込んでいる人に向かって、「きっとすぐいいことあるよ」「いつか明るい未来がやってくるよ」と慰めたり励ましたりする時に使います。
日本語の「柳暗花明」
「柳暗花明」は、それほど使用頻度は高くありませんが、日本語の中でも「りゅうあんかめい」と読んで四字熟語として使います。
『日本国語大辞典』(小学館)を見てみると、
とあり、他の主要な国語辞典でも同様の語釈になっています。
① の原義の用例として、
「柳暗花明の好時節と相成り候ところ、いよいよご壮健、賀し奉り候」(夏目漱石『虞美人草』)
② の派生義の用例として、
「うたがひは懸かる柳暗花明の里の夕べ」(樋口一葉『経つくゑ』)
などが挙げられています。
原義での用法は中国語と同じですが、派生義としては、中国語に見える「困難の中で希望を見出す」云々という教訓的、効用的な意味の用法は日本語にはありません。
日本語の派生義は、「花柳街」、つまり色町、遊郭を意味するとしています。
「柳」と「花」の文字を使った四字熟語で「花柳街」を意味する言葉では、「柳暗花明」の他にも、
柳巷花街(りゅうこうかがい)
花街柳巷(かがいりゅうこう)
柳陌花街(りゅうはくかがい)
花柳狭斜(かりゅうきょうしゃ)
路花墻柳(ろかしょうりゅう)
路柳墻花(ろりゅうしょうか)
などがあります。
「花柳」という言葉は、上に挙げたような四字熟語を2文字にまとめたものです。「花」は女性(遊女、芸妓)の美しい顔を表し、「柳」は、女性のしなやかな姿態を表すと同時に、風流の象徴でもあります。
文字上の由来としては、このように説明されますが、もっと直接的な由来としては、実際に、遊郭には花(主に桜)と柳が植えられていたからにほかなりません。
日本の遊郭は、中国の妓楼のように繁華街のど真ん中に鎮座している楼閣ではなく、街中から少し離れた場所に設けられた小さな町のようなものです。
↑↑ こちらの記事で紹介されているように、吉原の遊郭では、「仲の町」(中央の通り)は桜並木になっています。
遊郭の入口付近の部分を拡大すると、「見返り柳」が描かれています。
江戸時代は、今のように街灯などありませんから、夜は真っ暗です。暗く長い堤を歩いて(あるいは駕籠に乗って)遊郭の大門にやって来ると、目の前に夜桜が現れ、灯籠で明るく照り輝く別世界が広がります。
遊郭を形容する語として、数ある四字熟語の中でも、とりわけ陸游の「柳暗花明」が好んで用いられるのは、実際の遊郭へのアプローチが、ちょうど「柳暗」から「花明」へ、そして「又一村」という陸游の詩句の流れとシンクロするからなのかもしれません。
「又一村」の行方
「柳暗花明又一村」の下3文字「又一村」は、また別の意味で、もとの詩から抜け出て今も使われている言葉です。
香港に「又一村」(広東語でヤウヤッチュン)という名の街があります。
学生時代、香港に留学していた時、本であったか地図であったか記憶にないのですが、「又一村」という地名を目にして、漢字の字面も広東語の響きもなんとなく気に入って印象に残ったのを覚えています。
その時は、これが陸游の「柳暗花明又一村」に由来する地名であることは全く知らなかったのですが、なぜ気に入ったのか今でも謎です。
「又一村」は九龍側にあり、周囲は、旺角(モンコック)、深水埗(シャムスイポー)など、ゴミゴミとした、ある意味で最も香港らしいカオスを感じさせる庶民の街です。
そうした下町っぽい地区の真ん中で、「又一村」の一画だけが閑静な住宅地になっていて、「又一居」(Parc Oasis)、「又一村花園」(Village Garden)など高級マンションや「又一城」(Festival Walk)という高級ショッピングモールがあります。
ゴミゴミした雑踏を抜けてこのエリアに入っていくと「柳暗花明又一村」という気分がしないでもありません。
この記事を書くに当たってあれこれ調べていたら、「又一村」は、中華圏ではあちこちに見られるポピュラーな地名や店名であることがわかりました。
↓↓ 上海にも「又一村」という地区があります。
↓↓ 「又一村花園」という名のマンションは、深圳にもあります。
↓↓ 台湾・台北にある麺と水餃子の店「又一村麺食館」。
↓↓ 台北の市場の一角に店を構える寿司屋「又一村」。
↓↓ 台湾・花蓮の「又一村文創園區」は、廃墟をリノベーションした観光地。
↓↓ マレーシアのペナンにある茶餐廳(香港式大衆食堂)の「又一村」。
日本でも、熊本に「又一村」という餃子店があります。
「またいちそん」と読むらしいのですが、はじめての客はみな「ぬーむら」と読み間違えるそうです。
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