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劣っている「私」
優越感と劣等感、上から目線、下から目線について考察してみます。
「私」の方が優位に立っていると判断しているのが優越感です。
「私」の方が上だと思っている状態。
「私」の方が劣っていると判断しているのが劣等感です。
「私」の方が下だと思っている状態。
判断するには何らかの物差しが必要ですし、上か下かと判断するには比較する対象も必要になってきます。
つまり何らかの《物差し》によって、誰かと「私」を比較して、どちらが上か下かと判断している状態です。
《物差し》によっては優越感を持ったり劣等感を持ったり、同じ《物差し》でも比較対象が変わると上になったり下になったり「私」の評価が定まりません。
基準となる《物差し》とは何でしょうか?
万人に共通の世界スタンダードの《物差し》はどこを探せばあるのでしょうか?
ついぞ聞いたことがありません。
万人に通用する世界スタンダードの《物差し》が存在しない以上、「私」独自の《物差し》が存在することになります。
その《物差し》によって「私」は上にスタンスをとったり下にスタンスとったり変幻自在です。
あるいは、相手の《物差し》に反応させられる場合もあります。
上から目線で見られたとか、下から目線て見られたとか。
相手の《物差し》に踊らされ、またしても「私」は変幻自在です。
定まらない《物差し》に定まらない「私」、
そして、変幻自在の「私」に一喜一憂する「私」。
これは一体何をしているのでしょうか?
変幻自在の「私」を特定することで一体何を確認しているのでしょうか?
その《物差し》はそんなに大事なものなのでしょうか?
自分の《物差し》について問うたことがありますか?
その《物差し》が無かったらどうなるか考えたことがありますか?
様々な《物差し》によって構築された蜘蛛の巣みたいな網目の中の「私」。
そしてそれをを四六時中確認している「私」がいるのです。。。