絶望している「私」
~期待は100%裏切られる~
そうは言っても期待通りのこともあるのではないでしょうか?
そう思ってしまいますよね。
期待について考察してみたいと思います。
そもそも期待はどこから生まれるのでしょうか?
何故期待するのでしょうか?
こうなって欲しい!
こうして欲しい!
こうだったらいいのに!
よくこんな風に夢想しませんか?
これが期待です。
実はこれには前提があるのです。
【こうなっていない】
そうなのです。
強烈な欠乏感が期待の裏返し。
期待するということは、
こうなってない!こうなってない!こうなってない!と叫び続けているのと一緒なんです。
では何故期待するかと言うと
期待にすがることで絶望的な気持ちを誤魔化せるからなのです。
こうなって欲しい!
こうして欲しい!
こうだったらいいなぁ!
妄想(期待=こうあって欲しいイメージ)を膨らませることで、ひと時の満足を得ることができる。
期待することは不快な欠乏感を快感に変えることができるスイッチになっています。
それにすがり続けるということは、鼻先ににんじん🥕ぶら下げた状態です。
そのにんじん🥕は永遠に食べることが出来ない。
そして、この鼻先にぶら下げたにんじんがある限り、その根底にある絶望は消えていかない。
そして、また期待する。
期待を生み出している欠乏感、つまり前提となる条件を直視しない限りその欠乏ループからは抜け出せない仕組みになっているのです。
期待するってどこか気持ちがいいと思いませんか?
でも、その気持ちよさに浸る自分に気づいて、期待の裏返しである絶望を見極めることです。
甘い期待に隠された悪魔的な絶望を見定めたら、半分ループから抜け出しています。
そしてその絶望をジャッジすることなく直視する。
邪魔者扱いしない、止めようとしない、何とかしようとしない。
ただ観る。
そしたら「絶望している私」は消えていく瞬間がありるのです。
絶望的に期待する、悪魔的なループから抜け出しています。