27才になって
1月で27才になった。
私にとって27才は、26才とは明確にライフステージが変わって、完全に大人にカテゴライズされるというか、背筋を伸ばしてしゃんとしないといけない歳のように感じる。
(でももしかしたらこれは、数字が丸っこい6から直線的な7になったっていう、視覚的な問題なだけのような気もしてきた)
大学卒業間際の社会人になる直前、将来のことを考えていた時、「27才なんて遠い未来のことは考えられない」と思っていた気がする。
実際なってみるとなんというか、もっと何者かになれていないといけない年齢なんじゃないか、と思ってしまう。
社会っていう大きな球の中に、何かしら肩書きのようなものをもって影を落としているような。社会に対して、自分の存在がはっきり明確に誰にでも分かるような形で見えていなければいけない、みたいな。
学生の頃は、自分って後悔をしない人間だと思ってた。反省はするけど後悔はしない。そんな潔く生きる自分がかっこいいとまで思ったりした。
でも違った。
四半世紀を過ぎて、やっと自分が選ばなかった道、或いは選べなかった道が見えるようになってきただけだった。
SNSを見れば自分より若いアイドル。同年代を見れば、順調に会社員を務めている。こんなに登録者数がいるYouTuberは何年も前から地道に活動している。
そういう、自分が今何者にもなれない道を選んでいる間に、何かを目指してやってきた人たちが実を結んでいるという状況を認識するようになってしまった。
つまり私は今、絶賛クォーターライフ・クライシスに陥ってるということだ。
焦る、焦る。目を瞑れば不安がよぎる。あることないこと考えて焦って眠れなくなる。
この感覚って、今の時期を過ぎたらなくなるんだろうか。今蒔いてる、何者かになれるかもしれない種は芽を出すんだろうか。何者にもなれない自分を受け入れて、前を向ける日々が来るんだろうか。
今から5年後の32才なんて、学生の頃思ってた27才よりももっと輪郭の見えない先の話のように思う。
27才の今日と同じようなことを思うのか、それとももっと視界の開けた日々を送っているのか。
でもどんなに足掻いても、27才になった瞬間の今、いきなり花は咲かない。だから32才の日々は32才の自分に任せて、今は27才の私で土壌をととのえていくしかない。
そう割り切ってこの一年過ごせればいいけど。