今日初めて、「うつやめたい」と思った。頑張って治すぞとか早く回復したいとかではなく、どこか諦めた感覚。うつ病のフィルターを通して世界を見るのがしんどくなってきた
一度ハマるとずっと同じものを食べたり同じ場所に行ってしまう自分を冒険心のないやつだと思っていたんだけど、また食べたいと思うくらいお気に入りのものがあるとか常連の場所があるっていうのは、これが大人ってやつなのかもしれない。と思えるようになった。
うつ病の私が何度希死念慮を抱いても、 "この思い出に生かされている" と思っていることがある。 それは、4つ離れている弟とのこと。 私がうつ病になって2年目の時、2人で地元のちょっといい回転寿司に行った。いつものチェーン店とは違って珍しいお魚が大きなネタで提供されるので、2人して興奮した。 何のネタかは忘れてしまったけど、弟がある一皿を口に含んで美味しいと言った。普段あまり表情が変わらない子なので、そのわずかに口角の上がった顔に、本当に美味しいんだなと私までうれしくなった。
真っ当な人間は自力で立ちたいに決まってると思うんだよな
語学は若いうちにやっておいた方がいい、の真意は音なんだな
見えないものを大切にしなさいって言うのは、私たちは普段自分のことが見えないからなんだな
病気をアイデンティティにしないようにしなきゃな
悩み事はひとつくらいあったほうがいいと思うようになった。何もないと世界平和とか考え出して、勝手に人類に憤りを感じるようになる。
1月で27才になった。 私にとって27才は、26才とは明確にライフステージが変わって、完全に大人にカテゴライズされるというか、背筋を伸ばしてしゃんとしないといけない歳のように感じる。 (でももしかしたらこれは、数字が丸っこい6から直線的な7になったっていう、視覚的な問題なだけのような気もしてきた) 大学卒業間際の社会人になる直前、将来のことを考えていた時、「27才なんて遠い未来のことは考えられない」と思っていた気がする。 実際なってみるとなんというか、もっと何者かになれて
もうすぐ27才。早く何者かにならなくては、と今夜も不安に浸る。
3日ぶりに外に出た。 気まぐれで新聞を取りに立つと、ふいに行けそうな気がしたので財布とエコバッグを掴んだ。 朝さんぽに出るといつも学生の頃を思い出す。高校卒業までの14年間、同じ景色を繰り返した。自分だけ学生の頃から何も進んでないように感じ、苦しくなる。 ここ1週間ほど気分の落ち込みがひどく、400m先のコンビニすら行けなかった。 考えてみればあのコンビニはちょうどいい距離にある。本当にしんどい時は行けないけど、ちょっと良くなればなんとか行ける。 体調のものさしになる
牛乳石鹸さんの古いそろばんとシールをゲットしたのですが、詳しい年代が分からず知りたいです! 一応そろばんの方は、雲州堂さんのHPで戦後すぐではないかとの記載を見つけました。 牛乳石鹸さんに届け〜〜!
私自身、うつ病と社交不安障害をもつ精神障害者として、"障害とはなにか?""なぜ障害者が発生してしまうのか?"を考えるようになりました。 障害には大きく分けて、身体障害、知的障害、そして精神障害と3つあります。そのうち、身体は物理的な世界に対する障害で、これはいつの世もどうしても発生してしまうものです。 それでは、知的障害と精神障害は、何に対する障害と言えるでしょうか。 実際、性格と障害はどこで線引きされるか。それは、"日常生活に支障をきたす"かどうかの視点になります。
2年前不眠が酷くて2時間寝続けることもできないくらいだったんだけど、あまりにもフラフラで階段踏み外して尾てい骨折って、救急車で運ばれたことがある。でもレントゲンとか入院手続きのゴタゴタで疲れ切って、その日からぐっすり眠れるようになった。荒療治にも程がある。
食べるという行為が難しくなりすぎて、ひとつひとつの動作を考えながら食べていたら、脳みそが疲れすぎたのか気絶することもよくあったな