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"イタいサブカル鬱文学オタク"くんに、太宰文学が刺さってしまった理由。

 今日は誕生日なのだが、誕生日くらいは自分語りが許されるだろう(いつもじゃん……)と思うので、今日はわたしの好きなものについて書いてみる。タイトルの通りだ。


 わたしは太宰治が好きだ。普通に、好きな作家として好きだ。生き様も結構好きだ。あのひとの力は、

「太宰は自分だ」


と思わせるところだと思う。わたしはまんまとその罠に引っかかった。まぁでも、いろんな中高生が引っかかって所謂"イタいサブカル鬱文学オタク"になっているだろう。そう、全部太宰のせいなのだ。ごめん、それは言い過ぎたけど、イタいサブカル鬱文学オタクで、志賀直哉や武者小路実篤(すごくまっすぐ生きている不良お坊ちゃん文豪たちなので、気になる人はウィキペディアとか見てみてください)の作品や生き様が大好き! とか言ってるやつは見た事ないので、そういうことなんだろう。言っておくが、文学オタクの話ではなくて、イタいサブカル鬱文学オタクの話である。
 自分で狂う勇気も死ぬ勇気もなく、めちゃくちゃな心持ちを自分で表現する力のない人間がたどり着く先は太宰の文学だ。と、わたしは勝手に確信している。理由もないのに死にたい人間は、いつも、自分の気持ちを代弁してくれるやつを探しているのだ。
 太宰が芥川龍之介を敬愛、いやもはや信仰していたという話はあまりに有名だが、このくらい太宰を信仰しているやつもまた、沢山いるんだろう。



 そんなイタいサブカル鬱文学オタクくんわたくしが、いかに太宰治に感銘を受けて感謝しているかという話がしたい。それだけの話なので、つまらないと思う。一方向からの話しか出来ないやつの話は、恍惚としすぎてつまらないのだ。それでも今日は自分語りをしたいので、話す。

 『人間失格』を、最近また読み返す機会があった。七月にも読んだばかりなのだが、友だちの妹さん(中学生)がどうしてもこれで夏の読書感想文が書きたいのだけれど、ちょっと難しいので解説的なものをして欲しいというお願いを受けたからだ。それで、わたしはそれはもう嬉しくて嬉々として150ページ程度の本を一晩で読み返し、またそのままの勢いで解説マニュアルを4000字ほどしたため(完徹した)、次の日の昼には提出するという異常な熱意を見せてしまったのだが、それくらい、まぁ嬉しかったのである。
 聞けばその子は『文豪ストレイドッグス』にハマっているらしく、どうしても太宰で書きたいとのことだった。文ストは作品名が異能力名となるのだが(ここら辺が気になる人は調べてくれ)、太宰は『人間失格』なので、尚更これで書きたかったのかなと邪推している。

 まぁそれはいいのだが、実はわたしが『人間失格』を読んだのは三回目だ。二回目は今年の七月、三回目は超最近。最初に読んだのは中学一年の時だった。
 ところが中学一年生(しかも四月か五月だったと思う)の時に読んだ『人間失格』は、ありえないくらい刺さらなかった。わたしも例のごとく文ストに影響を受けて手を出したのだったが、今こんなに太宰太宰とはしゃいでいるやつと同一人物とは思えないくらい刺さらなかったし印象もなかった。まぁ単純に、ついこの間まで角川つばさ文庫で児童文学ばかり読んでいた小学生だったやつが、急に50年以上前の本を読んで理解出来るのかと言われるとそりゃそうなのだが、とにかく言いたいことが入ってこなかった。なんか苦しいんだなってことしか分からなかった。
 多分それは、自分がまだ自分に忠実に生きていたからだと思う。苦悩がなかったからだと思う。

 それが5年経って、この間読み返した時に、急にめちゃくちゃ刺さったのだ。なんでかなと考えていた時に、

「太宰の道化っぷりが分かってしまうからだ」

だと考えた。
 彼は生まれた時から道化だったと言うけれど、わたしは"彼ではない"ので、そんなことはなかった。小学生くらいまでは、自分らしく(偽ることなく)生きていた。それで馴染めないことは多々あったが、まぁ困らなかった。
 それが中学生になって、

「あぁ、もしかして普通にならなきゃいけないのか」

と気がついた。中学生は小学生よりもずっと排他的だし、高校生は中学生よりもずっと排他的だ。"どうあるべき"の規定は、どんどん狭くなる。そうして画一化された子供たちは社会に出荷される。そういう仕組みだからだ。
 そんなところで、わたしはわたしのままでは馴染めないことが分かった。だから、馴染めるように努力した。でも、わたしの性格は暗くていい加減で責任感のかけらもないし、出来ることも才能も全然なかったものだから、「人を笑わせる」ことで社会の輪に入るしかなかった。今となっては、「笑わせる」だったのか「笑われる」だったのか、分からない。
 人間失格の葉蔵(主人公)みたいに、わざと鉄棒から落ちたり、変に演技したり踊ったり、とにかく体を物理的に張るようなことはなかったが、わたしの場合は、"自分のダメなところ"を切り売りして笑い話にすることで、なんとか輪に入ることに成功したのだ。
 無駄に人生のエピソードだけは濃いので、それを切り貼りして全部大きな声で笑って話した。階段でずっこけてタイツの膝に大穴開けた時も、めちゃくちゃ恥ずかしかったけど友だちに見せては「転けてめっちゃ痛いんだけど! 恥ずかしいし最悪!」と逆に笑わせた。図工の授業で釘全部曲げて先生に「もうやってあげるよ……」と言われたことも、体育の持久走でいつも最後になって見世物みたいになったことも、先生に三者面談でもっと友達を作りなさいと親に暴露されたことも、中学受験で第一志望に落ちた話も、全部笑い話にした。引き際もイキり加減も理解していた。陽キャの皆さんにも「かのはさんは喋りやすいよねー笑」と褒められた。褒められたのか? ありがとう。でもその子たちは、わたしの普段の友だちの悪口を平気で言う。でも、それも笑って流した。とにかく、馴染むために平穏を求めて、プライドも正義感もなにもなかった。平和が好きだったのだ。
 でも、自分のダメなところをわざわざ掘り起こしてみんなに笑ってもらう度に、自分のダメなところが浮き彫りになって苦しかった。どんどん、自分はダメだと思うようになった。わたしの話で笑ってくれる人が増えるほど、わたしは自分が嫌いになった。そこに大した感情はないと思っていたけれど、どうやらそうでもなかったらしい。でもわたしには何も無かったので、それ以外どうして話したらいいのか分からなかった。
 という、まぁ葉蔵(つまり太宰)の道化とは種類が違うけれども、わたしも全くもって自分の身の丈に合わない、コミュニケーション能力以上のパフォーマンスを常に心がけ、毎日疲弊していたのだ。そんで疲弊したので、社会のレールをあっという間に外れた。バカだと思う? 笑えると思う? 笑ってくれよ! マジで。
 とか思いながらわたしの惨めさを笑ったやつを逐一恨んでいる。いや嘘だ。全部笑ってくれる人は好きだった。全部そのままに受け止めてくれる人は好きだった。ちょっと気遣わしげにこちらを見てくる人が嫌いだった。そこには外向けの"わたし"は映っていなかったから。
 まぁつまり、そういう生きるの下手すぎ人間を、何万字にも渡って、代弁(まぁ太宰はそのまま書いているのだろうけれど)してくれたのが『人間失格』だったわけで、そういうことを考えていたらぶっ刺さっていたのだろう。
 新潮文庫の『人間失格』の解説には、道化であった太宰が唯一サービス精神を捨て、自分のために書いた小説だ的なことが書いてあった。わたしはそんな、道化じゃなくなった太宰の文章に共感したのである。同じ、というには烏滸がましいのかなんなのかわからないが、同じ道化として、共感し、代弁者を発見し、ひとりじゃないと自分を抱きしめることに成功したのだ。

 単純に感謝を伝えたい。ありがとう太宰治。
 わたしは、自分がサービス精神豊富に常に人に笑ってもらおうというコミュニケーションをしていたことにすらあまり自覚がなかった。ようやく気がつけたと言っていい。それが辞められるかと言われれば多分やめられないが、自分のコミュニケーションには無理がある、ということを自覚するだけでも違うだろう。
 あなたが恵まれていたのに恵まれていなかったことに救われる日があります。


 というのは『人間失格』の感想文であって、わたしは別にこの作品が太宰文学イチオシなわけでは全くない。
 まぁこんなダラダラ愛を語っておいて、著作を全部読んだとかそういうことではなく、自分の好きな作品を自分なりにずっと抱きしめているだけでわかったフリをしているだけの、それこそ"イタいサブカル鬱文学オタク"くんなので、そんなオタクくんの好きな作品の話を、これから先でさせてください。

 (誕生日だというのにリアルの友達からは一通もLINEが来ないので、文章をしたためるしかやることがない。サービス精神豊富な割には、わたしは捨てるのも捨てられるのも早いのだ。わたしのコミュニケーションは結局、観客と道化の関係でしかないんだろう。お互いに、顔なんか気にしてないんだ。ああ、また悲しくなってきた。)
 まだダラダラ続きます。

 わたしが初めて、ちゃんと太宰作品で感銘を受けたのは、『女生徒』という作品だった。確か中学三年生のときだったと思う。学校の図書館をうろつくのが好きだったわたしは、ハードカバーが並ぶ本棚で絵本サイズの本を発見した。
 それが乙女の本棚シリーズの『女生徒』だったのだ。

女生徒/太宰治・今井キラ

 今井キラさんというイラストレーターさんが、絵本のように小説に挿絵を施したもので、乙女の本棚シリーズには、様々な文豪の作品が様々なイラストレーターさんによって彩られている。他にも何冊か読んだが、読書に色があるのも悪くないと思った。
 そして、中ガキのわたしは、この表紙の儚さに一目惚れして、冬の読書課題はこれにしようと決めて借りたのだった。
 この時の自分に感謝したい。人生で一番感銘を受けた本は、まだこの本から変わっていない。今でも一番大好きな話だ。
 これは、太宰がとある女性の日記を元に書いた作品で、とある女の子の一日を描いたものなのだが、とにかくリアルなのである。
 わたしの大好きな文がある。

「泣いてみたくなった。うんと息をつめて、目を充血させると、少しも涙が出るかもしれないと思って、やってみたが、だめだった。もう涙のない女になったのかも知れない」

女生徒

 わたしはその当時、とにかく涙を流して泣けなかった。泣きたいことはたくさんあったが、どれだけ息を詰めてみても、涙が出ることはなかった。それは、苦しくないってことなんじゃないかと自分で自分を許してあげられなかった。だけど、涙が溢れて止まらない女じゃなくて、泣きたいのに泣けない女を、太宰は書いてくれた。それに、本当に救われた。
 太宰の女性口調が好きだ。〜かしらとか、少しポーズめいた、本当の女性というよりは、"女性"という概念の言語化みたいな口調が好きなのだ。だから、『斜陽』もかなり好きだ。『女生徒』とは全く内容は違うけれども。

「私は確信したい。人間は、恋と革命のために生れて来たのだ」

斜陽

 他にも『待つ』だとか『駆込み訴え』だとか好きな作品はたくさんあるが、一つ一つ取り上げていると終わらないので割愛する。



 イタいサブカル鬱文学オタクくんは、いつだって、同じくらい病んでてめちゃくちゃで死にたくてたまらない、高尚な文学を求めてる。「小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す。そうも思った。」などと今なら大炎上しそうな手紙を、太宰は芥川賞が欲しいあまり、選考委員で自分を批判した川端康成に送り付けたというが、今となっては、イタいサブカル鬱文学オタクにとっては、太宰文学は、ちゃんと立派な、自分を代弁してくれる高尚なものとなったのだ。
 『川端康成へ』でも『如是我聞』でも、とにかく自分の文学や生活を否定した人をめちゃくちゃに書いた太宰だったが、今多分一番、ノーベル文学賞受賞者よりも、小説の神様よりも、神様になった、なってしまった、と個人的には思う。本人が聞いたら喜んだ顔をしながら重圧でまた死にそうだ。

※如是我聞とは…太宰が人間失格と並行して連載していた、最晩年に自分の気に食わないものをめちゃくちゃに批評した作品である。標的はほとんど、小説の神様と評されていた老大家、志賀直哉だった。その後太宰の入水自殺により連載は終了。

 本人は苦しかったと思うけれど、やっぱり一読者の気持ちとしては。三回目の入水自殺まで死なないでくれてありがとう。檀一雄との心中も失敗してくれてありがとう(これが成功していたら、太宰は実はゲイだった!?とかいう研究がなされそうで面白いとは思った)。39年という短い人生だったけれども、後世に作品を残してくれてありがとう。と言わざるを得ないのだ。

 イタいサブカル鬱文学オタクくんこと俺は、成人しても尚、まだ自分のことを道化とか言っちゃったり、まだ小中学生のころのことを反芻してたり、人と喋る度に自分を痛めつけてしまったと被害者面したり、恥ずかしいまんま生きている。全くもって恥の多い生涯を送っているのだ。

 「ヴィラン」やAdo提供曲の「ギラギラ」で一挙有名になったボカロPのてにをはさんの昔の曲に、「走れ太宰」という曲がある。ボカロ楽曲は明らかに文学や絵画芸術に影響を受けたのだろうなというものも多いが、てにをはさんの昔の曲は特に文学をモチーフにしたものが多い。コメント欄も結構おもしろい。
⬇️YouTubeリンクhttps://youtu.be/MQh6TEFL6QI?si=7FnwOGbENLU56s2I

 そんな「走れ太宰」のサビは

「君文学こじらせたでしょ」

という歌詞から始まる。わたしはこの曲が愛とリズミックに溢れていて大好きだが、ここでいつも恥ずかしくて死にたくなる。だってその後の歌詞が

「君こそ太宰 君こそ堕罪」

なのだ。太宰に自分を重ね合わせる人間のなんと多いことか。太宰読者にはそんな信奉者が多いことも、てにをはさんは分かっているのだ。
 でも死にたくなるところ含めて、わたしはこの曲が好きだし、太宰が好きだ。この人に共感してるのか……と自分で自分に悲しくなるところ含め、太宰治が好きな自分が誇らしいし、そこにアイデンティティを持っているイタいサブカル鬱文学オタクなのだ。それでいい。

「人間は一人一人にちがつた肉体と、ちがつた神経とをもつて居る。我のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこびは我のよろこびではない。人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である」

月に吠える/萩原朔太郎

と萩原朔太郎は『月に吠える』で書いたけれども、結局、弱い人間は悲しみも苦しみも喜びも、似たようなものを持っていてそれを表現出来る人を探しているんだ。自分を形容してくれるものを求めて、ひとりじゃないと思いたいのだ。どうしようもない孤独は、なにかで埋めようとするしかない。
 だから、当時一人きりで死にたかった(今その状態が変わってるかと言われたらノーコメントだが)中ガキのわたしを救ってくれた太宰治及び太宰文学に、ありがとうと伝えたい。

 あの時泣きたくても泣けなかったガキも、なんとか生きてます。


おしまい。

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