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【岩手県奥州市】化石から畜産まで。彼らのことをモ〜っと知るなら「牛の博物館」

 岩手県の奥州 (おうしゅう) 市は、岩手県の南部にある街だ。
 大谷翔平の出身地ということで、最近では聖地巡礼に訪れるファンも多い。市のサイトでも大谷翔平を特集したページが作られている。
 因みに大谷選手の花巻東高校のある花巻市は奥州市から一般道で1時間、高速道路で30分程度。距離はあるが平地続きということもあり、体感としてはさほど離れている印象はない。

 さて、奥州市を語る上で欠かせないのが前沢牛
 更に奥州市には世界でも珍しい牛に特化した博物館、その名もずばり牛の博物館があるのだ。

世界遺産のある平泉町に程近いこともあり
牛の博物館近くのコンビニはモノクロだ

 牛の博物館は現在の奥州市の市街地からは少し離れた場所にある。
 2006年に水沢市や江刺市などの5市町村が合併するまでは前沢町だったエリアだ。木々と田畑に囲まれた閑静な場所だった。

牛の博物館外観。
駐車場から少し坂を下った先にある
博物館の外にも点在する牛をモチーフにしたモニュメント
博物館前で目を引くレトロな郵便ポスト。
飾りと思いきやなんと現役のようだ

 牛の博物館は2階建てになっており、1階は主に前沢牛など旧前沢町に縁深い牛に関する展示、2階はより幅広い牛全般に関する展示となっている。

展示室前にて出迎えてくれる
立派なツノを持つ牛の頭蓋骨。
テキサスロングホーンという現存する牛の品種の
頭蓋骨とのことだ
因みにトイレにも牛の豆知識が貼ってあった
2階に行く際は階段を使うが車椅子用の昇降機もある

 展示室に入るなり、1階でまず目を引くのは立派な前沢牛の剥製の数々。前沢牛の歴史に名を残す名牛達が剥製として展示されている。
 この前沢牛コーナーでは、前沢牛が生まれてから食肉が店頭に並ぶまでの順に前沢牛についてのさまざまな展示がされている。

こちらは種雄牛として多くの子孫を残し
前沢牛の基礎を作り上げた和人号の剥製
和人号と同じく優秀な種雄牛だった
菊谷号 (左)と恒徳号 (右)の頭部剥製
牛乳缶と思いきや凍結精液の保存容器だった
こちらは人工授精に用いる道具。
使い込まれており
かなり昔から人工授精が行われてきたことがわかる
近年は赤身志向の強まりで牧草飼育牛も注目されているが
柔らかくて癖のない、脂の乗った高級肉となると
やはり穀物も食べさせている穀物飼育牛だろう。
もともと米どころだった前沢では
濃厚飼料として大麦や豆などの穀物も盛んに作られた上に
牛糞は肥料としても有用だった
牛が生まれてから食肉になるまでを表した模型
前沢牛の歴史。
特に岩手県中央部から青森の下北半島まで
北東北の太平洋側は馬の文化圏というイメージが強いが
元々前沢も馬の飼育が盛んな地域だったらしい。
それが太平洋戦争により農耕馬が徴用されるようになり
代わりに牛を育てるようになったらしい
前沢牛の流通経路。
繁殖させる人や育てる人だけではなく
肉にするや運ぶ人がいて
初めて我々が前沢牛を食べられるようになる
よく「A5ランク」などの肉の格付けを聞くが
そうした肉質の格付けの基準となる
赤身・脂身色合いやサシの入り方などを
詳細に示した模型
前沢牛の美味しさの秘訣は脂の香りだそうだ。
また、今ではかなり一般化した肉寿司の起源も
前沢なのだという
主要な食肉部位とその調理法を詳細に記したチラシまで。
ここまでお腹が空いてくる博物館も中々ないだろう
更には調理例まで展示されている
上に前沢牛を販売・提供している
周辺店舗のリストもあった

 前沢牛コーナーの奥にあるのはマエサワクジラミズホクジラという前沢で見つかった、約500万年前に生息していた古代のクジラに関する展示コーナーだ。
 マエサワクジラは現生するナガスクジラの仲間で、ミズホクジラはすでに滅んでしまったケトテリウムの仲間だ。

上の小さなものがミズホクジラで
下の大きいものがマエサワクジラの複製骨格。
違う種類の2頭の鯨の全身骨格が同じ場所で見つかった。
この辺りがかつて海だったことを示す証拠だ

「なぜ牛の博物館にクジラが?」と少し不思議な並びだが、近年のDNA解析によりクジラの祖先は牛などに近い仲間だと分かっているという。
 よく聞く分類の「偶蹄目」も、最近は鯨も含めた「鯨偶蹄目」や「クジラウシ目」と表記することが増えている。前沢と縁深いウシの仲間、という繋がりなのだろう。

マエサワクジラの発掘の様子
これらのクジラが発見された場所の近くでは
骨質歯鳥というクチバシの一部が歯のようになった
原始的で巨大な鳥の仲間の化石も日本で最初に見つかっている

 ここから展示は2階へ。
 旧前沢町とそれに関するウシやその仲間のコーナーからグッと視点が広がり、日本各地や世界におけるウシやその仲間と人間に関するコーナーだ。

ウシのイラストに沿って進もう
まずは牛と人間の出会いのコーナー
古代からウシは様々な壁画のモチーフにもされてきた
まずはヤギュウ、野生の牛の仲間に関連するコーナー。
これは実際に触れることもできる
アンティクアスヤギュウの化石。
2万年ほど前にアメリカ生息していたウシの仲間だ
こちらはアンティクアスヤギュウの全身骨格化石
日本にもかつてはヤギュウの仲間が生息していた。
まだ日本列島がユーラシア大陸と繋がっていた
約1万5千年ほど前に生息していたハナモリイズミウシは
北海道から瀬戸内海まで広く生息していたが
いまだに謎に包まれている部分が多い
現存するウシの仲間達。
ヤクやスイギュウなど、ウシよりも後に家畜化に成功した
ウシの仲間も見られる
続けて家畜牛のコーナーが始まる。
現在の畜牛の祖先であるオーロックスに関する展示。
野生のオーロックスは既に絶滅してしまったが
現在も現存するウシの掛け合わせなどの手段で
オーロックスの復活が試みられている
最近ではウシの家畜化は9000年ほど前だと言われているが
家畜牛の姿は実に多様性に富んでいる
ふわふわで愛らしい姿から定期的にネットでも話題に上がる
畜牛の1品種、ハイランド種の剥製
様々な家畜牛の品種の模型
そしてもちろん和牛の展示もある。
長方形のシルエットに極端に短い角
そして頭の先から尻尾まで黒い姿は
こうして他の家畜牛の後に改めてみると中々に特徴的だ
他の生物との骨格の比較。
ここは主に歯の構造を比べたコーナー
奥にはツノの違いを比べたコーナーがある
北東北の里山ではよく見かけるニホンカモシカ。
彼らもウシの仲間だ
続けて牛の体についての展示コーナー。
牛の中でも特徴的な胃袋は、植物食でありながら
あれだけの巨体を維持できる秘訣の1つだ
標本も展示されているのだが、改めてみると本当に大きい。
大人が体育座りしたくらいの大きさだ
各胃袋の内部構造。
焼肉店や気合の入った肉屋で見かける名前が並ぶ
口から入った牧草の胃袋別の変化。
どんどんキメが細かくなっていくのがわかる
またもや登場人工増殖技術。
漫画「銀の匙」でも触れられていたが品種改良のしやすさや
牛の性質の安定など、牛の畜産においてこの技術は
その発展過程において非常に大きなポイントになったという。
1958年ごろは伝書鳩が精液の輸送に
使われていたという話も面白い
続けて牛と人間の生活のコーナー。
1階でも少し触れられていたが、機械がない時代の農業では
労働力としても牛は大事な役割を担っていた
1階では肉としての利用が主だったが
家畜としての牛を語る上で牛乳も欠かせない。
そのまま飲むだけではなく、バターはチーズなど
様々な加工品も作られてきた
消化しやすく保存が効き、そのまま飲むのはもちろん
料理に使えば肉にも野菜にも合うヨーグルト。
その保存容器にも地域ごとに特徴が見られる
そして労働力としての利用。
様々な地域の農業で牛は活躍してきた
広島県で行われている民族行事の花田植という
面白い行事の展示もあった。
美しく飾りつけた牛と共に田植えをする行事で
牛の一年の安全を祈ると共に豊作を祈願するという
2つの意味があるらしい

 そしてこの花田植の展示の横には眺望ラウンジなるものがある。
 入ると北上川流域の美しい景色を見ることができる。

斜面に立つ牛の博物館の立地ゆえの景色。
このラウンジは知らずに来たが
晴れた日に来れて本当によかった
ちょうどこの眺望ラウンジから見えるあたりは
白鳥舘 (しらとりたて)遺跡という遺跡にあたる。
白鳥舘遺跡は北上川と白鳥川の合流地点にある
10世紀から16世紀にかけて栄えた集落の遺跡だそうだ
600年に渡り栄えた白鳥。
時期としてはちょうど源義経が奥州に来た時期とも重なる
訪れたのは夏の終わりだったが
初夏や紅葉の季節も美しいだろう

 再び展示スペースに戻る。
 次に展示されているのはインドネシアにあるトラジャという人々についてのコーナーだ。
 トラジャはインドネシアのスラウェシ島の山岳地帯に住む人々で、コーヒー好きの人にはトラジャコーヒーと聞くとピンと来るかもしれない。
 非常に豪華な葬儀を行うことで有名で、葬儀の際は特に水牛の生贄が重要視される。
(生贄と書くと少しおどろおどろしいが、屠った後の肉は親族で食べたり参列者に配ったりする)
 水牛は死者の魂をあの世に運ぶ役割があり、よりたくさんの水牛を生贄にすればするほど死者は早くあの世に行くことができるという。また、遺産である水田の割り当ても、どれだけ多く、立派な水牛を葬儀に提供したかを元に割り振られるという。
 面白いのはこの水牛は完全に葬儀用に飼育されており、農耕などの労働力に用いることはないという点だ。あまりにも豪華な葬儀をするので「死ぬために生きている」と揶揄されることさえあるという彼らだが、その力の入れようが垣間見える。

トラジャの葬儀でも特別な人にだけ用いられる家畜型の棺。
男性なら水牛、女性なら豚型の棺を用いる。
詳しくは書かれていなかったので予想になるが
生を女性、死を男性が担当するという考えが
トラジャにはあるらしいので
そこから来たチョイスなのかも知れない
写実性はもちろん側面に彫られた模様も見事だ
副葬品の定番である木彫りの等身大人形。
これを作る際にも材料の木を切り倒す際に鶏1羽
人形に目を入れる際に豚1頭
完成の際に豚1頭を犠牲にするという
葬儀以外でも、水牛は扉や壁飾りとして彫られるなど
トラジャの人々にとって権力や地位などと結びついている。
死そのものは勿論それに関連するものを穢れとして避ける
日本の文化とはまた違う、興味深い捉え方だ
トンコナンと呼ばれるトラジャの家の模型。
飾ってあるのはもちろん水牛のツノ。
これをたくさん飾っているのが豊かな家の象徴らしい
生贄に使う水牛は、もちろん見た目も重要だ。
インドネシアの水牛は黒や白や灰色など様々な色があるが
トラジャは白黒のマダラ模様の水牛を珍重する。
特に「テドン ボンガ サレコ」と呼ばれる全身に
まだら模様のあるホルスタインのような水牛は
普通の水牛の20倍もの価格で取引される
牛と深く文化的に関わってきたのは
もちろんトラジャだけではない。
日本をはじめ、世界各国の牛にまつわる文化の展示が続く
ペルーの縁起物である牛の焼き物トリト・デ・プカラ。
スペイン人がやってくるまでの南米に
牛は元々いなかったと言われており
牛が先住民の文化に浸透していったことがわかる
日本の歴史と牛のコーナー。
牛は耕作のみならず塩や米のほか、木材や酒など
様々や物の運搬にも活躍した
近世後期から明治にかけて
現在の岩手県から青森県では牛による貨物の運搬も
盛んに行われていたらしい
そして牛に関連する祭りは日本各地にも存在している。
牛の安全を祈願したり、神事の中に牛役の人間がいたり
その関わり方も様々だ
こちらの方が祭りの内容については詳細だが
うわじま牛鬼まつりも以前紹介した
北上市にある博物館「鬼の館」にも展示されていた。
牛と鬼、全く掠っていないわけではないとはいえ
同じ岩手県内にあるニッチな博物館のメインコンテンツ
その両方の要素を持つ存在がいるのは少し面白い
ガウンガウン祭りという鹿児島県の祭りで
牛役の人間が纏う装束
そしてもちろん、奥州市には前沢牛祭りがある。
きちんと毎年最新のポスターが展示されているらしく
この時は2023年のポスターが貼られていた
関西以西で見られるという牛神信仰で
奉納された牛の焼き物。
同様のものはミュージアムショップでも購入できる
盛岡市にある千手院の撫でベコとその由来。
言うまでもなくベコは方言で牛の意味だ

 鬼の館でも思ったことだが、やはりニッチな博物館は深く尖った内容ゆえにどんどん知らないものが出てきて非常に面白い。
 そして牛の博物館は牛以外にも幅広い内容の講座や企画展を定期的に行なっている。タイミングが合うならそれを見に行ってみるのも楽しそうだ。

 そして余談ながら、牛の博物館を訪れるより以前に秋田県大館市の三鶏記念館に行ったこともある。

 鶏、牛ときたら豚や馬の記念館や博物館もあるのかと調べてみた。
 とりあえず、残念ながら豚の博物館は日本国内にないそうだ。(海外ではSchweineMuseum Stuttgartという豚の博物館がドイツにはあるらしい)
 馬については神奈川県横浜市に馬の博物館というものがあり (注 :老朽化により2024年現在は工事のため休館中。2028年ごろに復活予定)、他にも北海道の苫小牧市のノーザンホースパークや帯広市のばんえい競馬場に生態や歴史などを学べる建物があった。
 しかし当然ながらノーザンホースパークやばんえい競馬場は競馬関連がメインで、あれはあれで非常に面白い施設だったのだがあまり競馬以外の文化などについては触れていない印象だった。
 馬の博物館も直接行ったことはないもののJRAの関係施設とのことでやはり競馬関係がメインらしい。リニューアル後に行ってみたい施設ではあるが、チャグチャグ馬コやオシラサマ信仰、えんぶりなどと言った文化面について一番詳しいのはどこなのだろう、と少し気になっている。

(2024年9月12日追記)
 青森県十和田市にある称徳館しょうとくかんがそういった施設だった。

 ただ兵庫県には但馬牛博物館というものもあるらしい。前沢牛のルーツでもある但馬牛。こちらもいつか兵庫県を訪れた際にはぜひ行ってみたい。

因みにこの後はもちろん前沢牛を食べに行った。
この時に訪れた牛匠おがたをはじめ、イオン前沢店周辺は
前沢牛を販売・提供している店が複数立ち並んでいる
この時いただいたのはお手頃なランチセット。
赤身の多い部位ながらも非常に柔らかく
ボリュームといい確実に値段以上の味だった

奥州市 牛の博物館
住所 :岩手県奥州市前沢字南陣場103-1
開館時間 : 9 :30〜17 :00 (入館は16 :30まで)
休館日 :毎週月曜日 (祝日の場合は翌日)
   年末年始 (12月28日〜1月4日)
入館料 : 一般400円、学生300円、小中学生200円
   (団体料金あり)
アクセス :前沢駅から車で10分前後

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