
「父」と「母」この奇跡的な出会いが無ければ「私」はの星(地球)に存在していない
「COOからエッセイスト」
りゅうぐう(竜宮)からのメッセージを綴ります
ひとりの「Human being」として
ひとりの「Human doing」を
沖縄の宗教感は世界中でも特殊だと思もいます
「仏教」「キリスト教」「新興宗教」などもありますが、どの宗教を信じていても基本的には「先祖を意識し感謝」していない方はいないと言っても過言ではありません
「祖霊崇拝(先祖崇拝)」を意識していない方はいませんし、それくらい「先祖崇拝」は沖縄人の心に根差した風土です
「日本式の漢那家のお墓(東京にあるので沖縄式ではありませんが)」
それは何故か?
自分の力だけで「生きる」事もできないし
自分の力で「産まれ」て 来た人間はひとりもいない
「男」と「女」
この奇跡的な「目会う(まぐあい)が無ければ縁は「結」ばれない
「許嫁(いいなずけ)」「嫁」になる事を両家の親に許された女性が居なければ(結婚は成立していない)
「父」と「母」
この奇跡的な出逢い(結婚)が無ければ、私はこの星(地球)に存在していない
結「婚(くなぐ=性交)」が無ければ、子供達はこの星(地球)に存在していない
「祖父」と「祖母」この奇跡的な「縁」がなけ
「父」「母」「私」はこの星(地球)に存在していない
さらに「曾祖父」と「曾祖母」この奇跡的な「縁」がなければ 「祖父」「祖母」「父」「母」「私」はこの星(地球)に存在していない
子宝とは、「父」と「母」両家のご先祖さまから授かった「宝物」
息子とは、、「自らの心の子」
娘とは、「良い女の子」
孫とは、「子の系譜」
結局のところ、遡るご先祖さまが「一人でも出会い」という「奇跡的な縁」がなければ「私」はこの星(地球)に、日本という国、沖縄という島に「生まれ」存在することは無かったっていうことになるのです
「ひとりもです、ひとりでもご先祖さまが出会い、結婚し、性交し、受精し、命を宿し、10月10日母体で育み、産み、育てることがなければ、
今の「私」は存在していない、ということです
「私の父、母、祖父、祖母、兄、私(赤ちゃん)」
私の誕生日は1962年8月17日(この星、地球に生を受けた日
それは私の親、祖先であるこの方々の存在があったから私という存在がこの星(地球)に生まれ存在することができたのです(あくまで私の記憶のある範囲のご先祖さまですが、遡れば無限にご先祖さまは存在します)
2月17日(父の命日)
4月4日(母の命日、兄の命日)
8月18日(父方のオジィの)命日
1月17日(父方のオバァの命日
4月30日(母方のオジィ)の命日
11月10日(母方のオバァ)の命日
毎年、この日は「トートメー(仏壇)」に手を合わせ、「ウートート(感謝の祈り)」をします(いつも見守って下さってありがとうございます~)と、沖縄の先祖供養の基本中の基本です
「漢那家の沖縄式の位牌」
先祖供養をとうして自己のアイデンティティという土台を築き、揺るぎない「自己肯定感」を高めていくのが沖縄の先祖さまたちの知恵です
「自分ひとりでこの星(地球)に生まれ存在してひとりで生きてるなんてあり得ませんからね」
沖縄では、毎年「清明祭(シーミー)」って言う「先祖供養」する儀式みたなのがあるんだけどそれはそれは盛大です
本格的な家柄では家族、親戚単位だけでは無く、「門中」という同じ血筋の人達がみんな集まります、中には会った事もない人達まで(現在は簡略化されていますが)
それくらい沖縄の人は血縁(ご先祖さまから受け継いだ命の繋がりを大切にしているのです、太古の昔から現在に至るまで)
「男、女」「父性と母性」の両方の「奇跡的」な出会いと絶妙なバランスで成り立っているってこと、この大自然界の人間は、「男と女から生まれたただのHuman being」
連綿とリレーの様に「命」を繋ぎ続け合っている
両親が出会って無かったら「みんなこの世に存在していませんから」
ご先祖さま達が1人でもパートナーと出会ってなかったら「みんなこの世に存在していませんから」
今、結婚してる方がでお子さんを産み育てている人、自分のパートナーと出会って無かったら「子供達も存在していませんから」
それを本能的に知ってるのが、「沖縄人=Human being」なのです
「私と息子たち(自らの心の子たち、数年前の親子)今現在は離婚して離れ離れですが」