人の振り見て我が振り直せ
約1年前にお別れした彼と、お話しした内容が興味深いなと思い、今日はそのことを書いてみようと思います。
別れてからも変わりなく、良き理解者として日々報告しあう仲ですが、あまり周りからは理解を得られない関係かもしれません。
ただ、本当に男女の友情とかなんとかではなく、家族としていいことも悪いことも率直な意見を言い合える、今では数少ない家族のような友達です。
そんな彼との会話の一部をここに残します。
私達はくだらない近況報告をした後に、最近どう?調子どう?と言った感じで大体突然に、ああだこうだと話し始めます。
彼が最近の感じている気持ちとして、「(他人に)見てると辛くなる。面倒な人と思われて下からもの言われなくなったら終わりやな」と。
その発言に、確かにそうかもしれない。私もそう思っていた時期があったなあ。
だけど私はどちらかというと、噛みついて行くタイプで、納得いかずに「上の人があれじゃ、下は何も言えませんよ?どうにかしてください。本人がいくら気をつけていると言ったって、伝わってなかったら意味ないんです!!」と師長さんに噛みついて行っていた時もありました。
医者と喧嘩することも度々ありました。
ただ、今は働き方を変えたのもあり、正社員として組織に属さないことで、プレッシャーもなければ、不満もなく、私は私のできることをやるのみ。
私のできることならやらせていただきます。の気持ちで働き始めたのと、年齢的にも少し余裕が出てきたのか、噛みついていくことはなくなりました。
だからと言って、「終わりだな」と諦めているわけでもなく、第三者として客観的に、他を経験してきた目線での提案はもちろんさせてもらうし、ここはここのやり方。郷に入れば郷に従え精神で、ある程度のことは「うんうん」と思っています。
そんな彼に私は、そうだねとは言えないし、それは違うんじゃない?とも言えない。
ただ、みんないろんなものを抱えて生きているし、うまく折り合いつけていくしかないねと。もしかしたらその人達からあなたもそう見えているかもしれない。人は鏡だから、私もそうだけど、広い心で受け入れられるようになるといいよね。と伝えました。
彼は心がとても繊細で、いい意味でも悪い意味でも、人の顔色をうかがえるタイプの人間です。
私はというと、人の顔色をうかがうという行為が滅法苦手なので、いい意味でも悪い意味でも思ったことをハッキリ言いがちです。
そんな繊細な彼と暮らしていた日々では、仕事から帰ってきて、なんだかしょんぼりしているなと感じることも度々ありました。
心優しく、顔色をうかがい、一歩先二歩先を思っても、慣れない仕事や慣れない環境、もともと少しばかし不器用なところもありで、うまくいかないとこともあり。
それゆえに心を痛めて帰ってくることも度々。
私はというと、不満は包み隠さずぶちまける。あっちでぶちまけ、こっちでぶちまけ、話すことで発散。そんな私は、きっといろんな場所に自分の蒔いた敵がいたように思います。それは本当の意味での敵ではなく、私の心の勝手なフィルターによるものです。
この頃弱かった私たちは、ともに励ましあって、お互い唯一無二の絶対的味方であることで、良くも悪くもバランスをとっていたように感じます。
今ではそれもいい思い出。あの日があったから、今の私達があり、強く逞しく美しく生きていけるのです。
結局何が言いたいかっていうと
今回のことで感じたのは「彼が嫌な彼になってしまわないでいてほしい」それだけです。
私の知っているあの頃のままの彼でいてくれとは言いません。
もちろん、そんなのは望まないし、それはむしろ良くない気がする。
ただ、素敵な心はそのまま持ち続けて、素敵なまま強く逞しく美しく、そして優しくあってほしいなと感じました。
それは、大好きだった人だからこそです。
彼がどれほど優しくて、愛情深い人かを私は一番ではないかもしれないけど、知っているから。
人は鏡です。
あの人のあれ気になるなあ、嫌だなあと思うことは自分もしている可能性があります。
こういうのを「投影」というそうです。
投影とは立派な自己防衛です。自分の心を守る働きの一つです。
自分の嫌なところを無意識に、心の中に押し込んでしまい、自分では気づかず、その代わりに他人に投影し、その人を苦手だと認識する。
『人の振り見て我が振り直せ』なんてことわざがあるくらいですから、人は心の弱い生き物です。どうしても、自分自身を守るために必要な行動でもあります。
何も悪いことではない。仕方ない、心の自己防衛としての正常な反応なのです。
だけど、それを頭の方隅に置いておくことで、少しだけ心も軽くなる気がします。
いい人ぶっているわけでもなく、純粋に嫌なのです。
自分が、他人に嫌なイメージを持つことも、心が痛くなるから。
だけど、それが心の正常な反応であるとわかれば、その気持ちに嘘をつかずに、受け止めれるし、私自身も気をつけられる気がします。
例えば、ここ最近で言えば、職場でだるそうにとても足音を立てて歩く人が、嫌だなあと感じていましたが、これは私も同じかもしれないから気をつけよう!と思えたことで、なんだかその足音が聞こえる度に、背筋がシャキッと伸びて、足音に気をつけて、モデルみたいに歩ける気がします。
こうして『人の振り見て我が振り直せ』を実践することで、苛立ちや嫌悪感は半減どころか、感謝の気持ちに変わります。
あなたのおかげですとね。
すごく綺麗事かもしれない。
すごく当たり前かもしれない。
特別すごくいいことが言えるわけでもないし、そこにエビデンスもない。
ただ、今の私が日々願うのは、私の大切な人達が傷つかない世界です。
そのためにも、私は人を嫌わない努力をしています。
私は良くも悪くも「人に優しくした分だけ自分も優しくしてもらえる」「人を嫌った分だけ自分も嫌いになるし嫌われる」そう思っています。
努力しても嫌いな人や、ムカつくこと、きつく当たってしまうこともあります。もちろん、私は完璧な人間ではないから。これは逃げでもなんでもなく事実をありのままに。はあ、まじでなんなわけ?嫌いすぎる。話したくもない。と思うことも度々あります。だけど、なるべくそれでも、だからって投げ出さないようにとは思っています。
昔の私はすぐに投げ出す、すぐにもうやーめた!嫌だからいーらな!ポイっ!と嫌のことや人を放棄して逃げていました。
こんなことは努力することでもないのかもしれないけど、なるべく誠意を持って、優しく常にどんな相手にも同じ温度であれるように。
いや、言いすぎた。同じ温度は言いすぎた。せめて±3度程度で。
長くなっちゃたけどこの辺で。
いつも簡潔的に短くと思ってもたくさん書いてしまうのが、活字中毒者の性かな。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?