1年前から変わったこと。(ライチ編)
いやー、激変っすよ!1年前、ライチはまさに渦中にいましたから。
長い?ごめんなさい、これでもだいぶはしょっております!
2、3年前から実家の母が、年齢のわりに早めの認知症を発症しました。
なんとかせねば…とは思いつつぐずぐずと対策をとらずにいたら、去年の春頃から幻聴・妄想の激しい症状があらわれるようになりました。そこで福祉事務所に紹介された、近隣では認知症ならここ!といわれる病院での診療を開始。この頃は通院しながらデイサービスを利用しつつ、自宅介護の将来を考えていました。
しかし症状に改善はなし。母は、隣人が自分の土地に住んでいるのに家賃を払わない!という妄想を抱き続けています。
窓から隣家へ向かって罵倒を続ける日々(本人いわく、向こうが怒鳴ってくるので怒鳴り返している)。ついにお隣の玄関や車を杖で殴打し、損壊する事件が発生したのが去年の5月でした。声を荒らげた電話に驚いて、泣いて謝りに行きました。
他人に危害を加える可能性もある、と病院に相談したところ精神科への入院を勧められました。精神科…!もう目の前が真っ暗です。しかし、自宅にいる限り完全に閉じ込めるのは無理で、いつ外へ出て何をするかわからない。閉鎖病棟に入るのが、本人にはともかく家族にとっては最善だと判断をしました。
ケースワーカーさんのおかげで空きベッドのある精神科が早々に見つかり、気持ちの準備もできないまま、その日のうちにタクシーで母を運びました。車中では素知らぬ顔をしながら、罪悪感で心は張り裂けそうでした。
入院後もしばらく妄想や妄言は続きましたが、規則正しい安定した生活のおかげか、母は徐々に穏やかさをとりもどしていきました。
精密検査で一時的に大学病院に移ったり戻ったりもありつつ、ありがたいことに半年ほどの入院を経て、精神状態はすっかり安定。最初の病院では、より深刻な症状の出やすいレビー小体型認知症の診断だったのが、比較的穏やかといわれるアルツハイマー型に変わりました。
今年からは介護付き有料老人ホームに移り、特に問題なく暮らしています。それなりの費用はかかりますが、母の貯金ですし、正直これほど価値ある必要経費はない!とにかく安心できるんです。私も訪問しやすい立地で、ほんとうに良いところが見つかりました。
以上の経験から、親族が認知症になったようだがどうしよう…という方にお伝えしたいのは、まず、地区の福祉事務所は頼りになるということ。
まずは電話で相談しましょう。担当のケースワーカーさんがついて、今後すべき指針を示してくれます。まずは要介護度の認定申請ですかね。休日でも困った時にメッセージを送ると、親身な返事が返ってきてとても救われました。
次に、いくら認知症専門の病院であっても診断は間違うということです。最初にレビー小体型の診断がおりたことで、母は興奮を抑えるため鎮静作用の強い薬を処方され、寝たきりに近い極端に無気力な状態になりました。大学病院の先生が薬をやめてみては?と提案してくれなかったら、今の元気な母はいませんでした。
私は母のようすがおかしいとは思いながらも、攻撃的だった時の恐ろしさが忘れられず、薬をやめたいと言えませんでした。若いお医者さんに「何かあったらきちんと対応しますから」と強く言い切っていただけてよかった。深刻な症状が好転しなかったら、異なる病院にセカンドオピニオンを求めるべきですね。
そして、精神科への入院は、恥ずかしくも怖くもないということ。自分や他人を傷つける危険な症状が出たら、頼っていいです。病棟に満ちる穏やかな雰囲気は、私がいだいていた陰気なものとはまったく違い、イメージが180度変わりました。もちろん医師、看護師の皆さんが優秀で努力をされているからこそで、頭が下がります。
病院の中庭には、職員さんが100円でコーヒーを淹れてくれる、ささやかなカフェスペースがありました。私は母とテラスでクロスワードパズルを解くのが本当に楽しみで。他の患者さんも好きな音楽をかけたり、談笑したり。思いがけず母が連れてきてくれた、奇跡のように平和な場所でした。
1年前に、マンゴーさんからリレーコラムのメンバーに誘われました。この不安定な状態で役目が果たせるかな?と不安ながらも、気分転換になるかもしれないと引き受けました。
メンバー同士の励ましもあり、脱落せず続けることができて感慨深いです。
おかげさまで母のことは一段落。今年は私自身にとって動きのある1年になりそうです。新しい仕事に向けて、ポートフォリオの整理を始めなくては。
要介護のご家族を抱えて苦労されている方が大勢いらっしゃる中、施設に世話を丸投げしていることに、罪悪感がないといえば嘘になります。そんな時は、ケースワーカーさんが最後に送ってくれた「施設が決まってよかったですね。今後はご自身の人生を楽しんでください」というメッセージを見返すことにしています。
未来が前向きに考えられる。そんな当たり前だと思っていたことが、幸せですね。