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ねことわたしとあれこれ

わたしがねこを好きなのは、ねこは情が薄そうだから。
ないものねだり。うらやましいな。

佐野洋子さんの『100万回生きたねこ』を読んだのは、
わたしが大人になってから。

そしてわたしの本棚に、洋子さんの本が一冊加わって、
そして――。

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投稿することを意識して、ちょっと詩のエッセンスを足しましたが、上記は記事作成に入る前のわたしの思考回路です。
今回はいつもと趣向を変えて、まずは概要ありき。
概要を紐解く形でまとめてみます。

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ねこと暮らしたことがないわたしの身近なねこがこちら。

長年愛用の弁当バッグと、岩合さんの文庫サイズ写真集『ねこ歩き』です。
弁当バッグはカバンが小さいときに使用し、『ねこ歩き』は気まぐれに本棚から取り出しては眺めています。

お気に入りのポーチがこちら。

近しい知人がパッチワークを習い始めた頃の作品で、コロンとした佇まいといい、色合いといい、しっぽといい、なんとも可愛らしく、いただいてからずっと大切にしています。サイズ比較に万年筆を置いてみました。

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と、一通りねこグッズを披露したところで、『100万回生きたねこ』です。「大人のための童話でもある」と称され、ねこが主人公であるというのに、妙な反感が働いて「読んでみよう」とはならなかった一冊。

なのに、まさかドイツで読むことになるなんて不思議な巡り合わせですが、過去記事(道に迷えば)でも可愛らしい発音でわたしの名前を呼んでいた姪っ子が「カニナさん、この本を読んだことある?」と腕に抱えて持ってきたのが『100万回生きたねこ』だったのです。

ハノーファーでお世話になったユミコさんの家。ドイツの洗剤の匂いだなと思う姪っ子の香りを傍らに、二人、ソファに座って黙読しました。

読み終えると、「お母さんの大事な本」と姪っ子が自慢げに言いました。
わたしはうんうんと言葉なく頷きました。
頷きながら、「ユミコさん、ごめんね、焼きもちをやいたりして」と心の中でお詫びしたのは、滞在中、貴重なお米でおにぎりを作ってもらったり、色んな所へ連れて行ってもらったりするにもかかわらず、留学してドイツの人と結婚し異国で暮らすユミコさん(義理の姉)に、わたしは一抹の嫉妬心をいだいていたからです。

何に対しての嫉妬だったのか本当に恥ずかしい限りですが、ユミコさんがこの本を日本から持って来ていたことにユミコさんの覚悟を感じるほどの力が『100万回生きたねこ』にはあって、ユミコさんを羨む気持ちが”ぐぐん”と減っていきました。この場をかりて姪っ子に感謝。ありがとうね。

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ドイツから帰国後、わたしの本棚に加わった洋子さんの本です。

私は本業は子供の絵本作りであります。
誰にも頼まれないで、絵本を作ることもある。
しかし何冊かのエッセー集も大人の本も出来てしまった。

『乙女ちゃん』文庫本のために
本人著より抜粋

ご本人いわく「出来てしまった何冊かのエッセー集」のうちの一冊を、この何年か後に図書館から借りて読みました。そして――。

「一番大事なものは金で買えない」
私にとって一番大事なものは何だったのだろう。
「情」というものだったような気がする。

私の青い手帳より

という洋子さんの振り返りに出会いました。

出会ったとたんに心臓がバクバクして、何度も何度も読み返しました。
それは、それまでもこれからも、わたしの判断を邪魔する「わたしの情の部分」「それで良しと思えた瞬間」だったと思います。

メモ魔のわたしの記録によれば、日付は6年前の7月29日、土曜日。
メモはできるだけ詳細に記録するわたしが「佐野洋子さんエッセー集より」としか記載しておらず、タイトルが不明です。

wikiで佐野洋子さんの「主な作品」項目を見てみたところ、一目瞭然、そのタイトルは『死ぬ気まんまん』と判明。タイトル名を手帳に書くのを躊躇って、未来の自分の記憶に託したことも鮮明に思い出しました。

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ここまできて今回の記事の目的なのですが、実は、風夏鈴かぜかりんさんの記事に触発されての返答です。

夏鈴さんの宿題(夢)に共鳴し、ぐっときました。

それで、ここからがわたしの返答です。

結論は、わたしも「書くことが好き」の一言に尽きるのですが、かつて青い手帳にメモするだけだったのと違い、noteでは起承転結を意識するため記憶が整理されて踏ん切りがつくようになりました。

たとえばこの記事では、「ねこが好き→100万回生きたねこ→佐野洋子さんのエッセー集→自分の情を認める」という流れです。
自分の記憶とメモだけではそんなふうに一つには繋がりませんでした。

「英語が好き→なぜ好きなのか理由が分かる」という記事もあったり、時には着地点がずれたり見つからなかったりもしますが、踏ん切りがつくことでちょっとずつ身軽になって、時にはこころ熱くなったりもして、適度に適当(含むテキトー)に暮らしていくこと。それがわたしの思い描く願いです。


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