カニナ

風景写真を撮ることと文章を書くことが大好きです。 時々俳句も詠んでいます。

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マガジン

  • my music

    「音楽を伴う記憶」や「好きな音楽」についての記事をまとめています。

  • my青い手帳より

    愛用の青い手帳メモをヒントにした記事をまとめてみました。

  • my俳句あれこれ

    自身の俳句や俳句に関する”あれこれ”をまとめてみました。

  • 英語あれこれ

    英語についての”あれこれ”を”つらつら”と綴っています。

最近の記事

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急がばゆっくり

長らく給料を得て生活していますが、自分は仕事についてのアレコレは書けないだろうと思ってきました。 仕事について意見を述べることは、私にとって何となくハードルが高かったからです。 その一方、仕事についてのアレコレを書いてみたいという気持ちはどこかにあって、「仕事の心がけ」の「心がけ」という言葉を目にしたとたん、この応募に投稿しようと即決しました。 「仕事の心がけならば書ける」ではなく「仕事の心がけだから書いてみたい」――毎日決まっている業務でも、そこには自分なりの心がけが

    • 18年目の『マタアイマショウ』

      本日10月31日は、私の大好きなSEAMOの誕生日です。 SEAMOの熱烈なファンとして、SEAMOにまで届く奇跡を願いながら、この記事を投稿したいと思います。 まずは、SEAMOについての紹介を、 SEAMO OFFICIAL WEB SITE から抽出し、まとめてみました。 ※シーモネーターとは、下ネタとターミネーターを組み合わせたもので、ライブでは海パンに天狗のお面をつけるという過激なスタイルでの活動も行われていました。 タイトルに入れた『マタアイマショウ』は、わ

      • 【エッセイ】専門の門

        10月。今年も「法の日週間」(10月1日からの1週間)が到来しました。 これまで2回、この週に、法にちなんだエッセイを投稿しましたが、今年は少し趣向を変えて、次の目次をつくってみました。 3つ目のショートショートを取り入れたゆえの目次です。 こうすれば、突然のショートショートの登場も、突然ではなくなると考えました。 ということで――。 今回の試み。 お楽しみいただけると幸いです。 専門の門という字 以前、『記憶の中の同心円』で、小学校4年生の頃のことをはっきり覚えてい

        • 同じ道を歩いても、通勤は徒歩で、休日は散歩。ずっとそうだったのに、今年の夏は、通勤の歩きも散歩みたいに思えた自分に、自分が一番驚いています。バス停近くの公園が、仕事場までの近道であることにも感謝。夏の終わりを感じた平日の朝、通勤路が散歩道になった思い出にパチリ。そんな一枚。

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        急がばゆっくり

        • 18年目の『マタアイマショウ』

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        • 同じ道を歩いても、通勤は徒歩で、休日は散歩。ずっとそうだったのに、今年の夏は、通勤の歩きも散歩みたいに思えた自分に、自分が一番驚いています。バス停近くの公園が、仕事場までの近道であることにも感謝。夏の終わりを感じた平日の朝、通勤路が散歩道になった思い出にパチリ。そんな一枚。

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        記事

          ずっと前のCM曲

          日本に住む外国の人のYouTubeをときどき見ています。そして、「えっ、そうなの?」と驚いた動画の抜粋がこちら。 流暢な日本語を話すニックの視点に興味をひかれる中でも、この回が特に印象深かったのは、CMのおかげで知った曲にまで思い及んだからです。 思い及んだ曲は2つあり、どちらも、ずっと前のCMに使われた楽曲です。 1つは、グリコのプッチンプリンの1996年のCMに、「プッチンパポペ エブリィバディ プリンプリン」のフレーズで登場した『プリプリ・スキャット(Pripri

          ずっと前のCM曲

          夏の1コマ~1日限定夏日記

          noteの投稿企画、#夏の1コマ 夏真っ盛りのこの季節、「夏らしい瞬間」を切り取った写真を募集します! を、目にしたとたん、夏の1コマ日記を書いてみたくなりました。 「夏らしい瞬間」の写真は、8月の3連休中に思わぬ感じで撮れていて、あとは日記をつけるだけ! の状態でした。 いつもだったら、思わぬ写真が撮れたときには、うきうきいそいそ、noteの準備にはいるのですが、子どもの頃の夏休み、慌てて絵日記をつけた”あの感じ”も再現したいと、8月30日まで記事の作成を保留して、宿題

          夏の1コマ~1日限定夏日記

          どっちもはないんです。

          思いつきと勢いで なんとかなると思っていた頃、 AがダメならBがあると楽観していた私に 「どっちもはないんです」 と、教えてくれた人がいる。 思いつきと勢いで なんとかならないと分かる今、 それでもAかBを期待してしまう私の中で 「どっちもはないんです」 の、言葉がぐるんぐる回る。 そして、こんなときでも 「なんとかなる」と 「なるようになる」の 類似点とか 「どっちかあり」と 「どっちもはない」の 相違点とか 別のことを考えて ちょっとだけ現実逃避。 AとBが

          どっちもはないんです。

          自由は変わるよ、いつだって。

          英語を勉強していて気になる一文に遭遇しました。 それがこちら。 なんてことのない日本文と英文ですが、日本語の「潰す」、英語の「kill(殺す)」に過剰に反応したわたしは、当初、これを題材にして『隙間時間ではなく……』というタイトルで記事を作成する予定でした。 Time is money(時は金なり)にかこつけて、隙間時間に好きなことをするのは自由時間だと繋げてみたくなったのですね。 そのためにも、夏鈴さんのnote記事をお借りしたくて、コメント欄を通して依頼したことから、

          自由は変わるよ、いつだって。

          夏の木陰で一句

          信号を待つつかの間の夏木陰 うだるような暑さの中、建物の影ができる方(片陰)の道を選んで歩き、陰が途絶えた交差点で運よく木陰が見つかれば、そこはつかの間の避暑地となります。 ――そんな木陰のひと時。 休日の昼下り、食材をまとめ買いするスーパー近くのバス停では、学生とおぼしき女子二人組が木陰でバスを待っている姿が、のんびりと寛いでいるように見えました。 二人とも手にはスマホで、各々スマホの画面に見入っているのですが、時は流れても、古今東西、人は木陰で休み、それが今も脈々と続い

          夏の木陰で一句

          フジコ・ヘミングさんフォーエヴァー

          フジコ・ヘミングさんの訃報が報道されたのは先月の5月2日。 今年の3月から療養中で、4月21日に逝去との急な事態は、近親者のみで執り行われた葬儀後の公表となりました。 フジコさんの公式サイトで「神の御許に旅立たれました」と記されていた【ご報告】を目にしたとき、天国や神さまについて語っていらしたフジコさんの声が耳に浮かんで、わたしはやっと永遠のお別れを実感しました。 ◇ フジコさんの演奏、フジコさんのことばにオイオイと魂が震えた一人として、ここにフジコさんのドキュメンタリー

          フジコ・ヘミングさんフォーエヴァー

          「なるほどな」な世界

          最近、停滞気味となっていた英語の勉強を再開しました。といっても、独学の、ゆるりとした勉強です。 過去に2回ほど駅前留学しましたが、会話らしい会話を果たせないままの帰国(?)となり、今にいたっています。 英語を学ぶのが好きな理由を過去記事から引用してみました。 そして、この頃お気に入りの勉強方法が、写真の本を利用した、名付けて「文法も単語もまとめて覚えよう作戦」です。 本のサイズが分かるよう、横にシャープペンを置いてみました。 本を開いた最初のページに記されているとおり、

          「なるほどな」な世界

          涙にまつわるエトセトラ

          前々回『"泣いてもいいやん!"な曲』、前回『泣くわたし』に引き続いての今回、最終回です。短いながらも、いつかは挑戦してみたかった三部作。 タイトルを「泣」の字で揃えたかったのですが、迷いに迷い『涙にまつわるエトセトラ』に決定。聴くと元気になれるPUFFYの曲の「渚」を「涙」に一文字変えて、涙にかんする諸々をまとめてみました。 涙と泪とさんずいへん この際だからと、”涙”と”泪”を漢和辞典で調べてみました。 泪という字を目にしたときにチラリと頭をよぎる、”涙”と”泪”の違い

          涙にまつわるエトセトラ

          泣くわたし

          前回の記事『”泣いてもええやん!”な曲』で予告しました『泣くわたし』ですが、あれから3週間が経とうというのにタイトル以降の入力が一向に進みません。あれもこれもと思うことが湧いてきて、どこから手をつけていいのかまったくお手上げ状態なのです。 もうこうなったら、思いつくまま気の向くまま入力してみよう! と都合のいい言い訳を見つけたところで、Here we go ! 思いつくまま気の向くままいってみます。 *** 内弁慶を少しもじって、内泣きっ子なる造語を思いついた。 子どもの

          泣くわたし

          ”泣いてもええやん!”な曲

          いつか、京都に関係することを書きたいと思っていました。 ただ、その糸口が見つからず、ずっと手つかずのままでした。 何といったらいいのでしょう。 親元を離れ、京都で過ごした学生時代の記憶は色濃くあるのに、それは幻みたいに断片的で話が広げられなかったのです。 漠然と、最初に京都のことを記事にするなら京都ゆかりのバンド「10-FEET(テンフィート)」か、ご近所だった「右京区中央図書館」のどちらかだろうとは思っていて、あとはそのタイミングを待つのみ……でした。 そして、新生活の雰囲

          ”泣いてもええやん!”な曲

          桜の花を撮るのはここまで

          3年前の春、「桜の花を撮るのはここまで」と決めました。 そんな決めごとが必要なくらい、桜の花の撮影にいそしみすぎて、のんびり桜を眺めることを忘れがちだったからです。 今は、桜の花を撮るも撮らないも成り行きまかせ――の気持ちでいますが、余程いそしみすぎた反動なのか、もう少しこのままでいいかな、というのが本音に近い気もします。 昔の人の歌と句をお借りすると、写真を撮るのにいそしんでいたときは、 ”世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし” だったのに対し、意を決して桜の

          桜の花を撮るのはここまで

          赤毛のアンでGo!

          先日は『何度だって、赤毛のアン』にて、わたしの好きな場面を熱弁しました。今回はそんな一冊、『赤毛のアン』から影響をうけたこと。『赤毛のアン』で試してみたかったこと。この2つに焦点をあてたいと思います。 *** ◇ 影響をうけたこと それはズバリ、”紫水晶(アメシスト)”と”ばらの花”です。 いかにもアンらしい表現ですが、こうして記事にすることで、ある共通点に気がつきました。それは―― と、どちらも、美しいものの名前にこだわるアンの一面が垣間見えるのです。紫水晶のくだ

          赤毛のアンでGo!