何度だって、赤毛のアン
つねづね、『赤毛のアン』は大人の読み物でもあると思っているのですが、今回の投稿にあたり、こんなにも知りつくした本をWikiでちらりと見てみたところ、なんだか嬉しくなることが書かれていましたので、嬉しかった部分を太字にして引用してみます。
そしてこれは、わたしが持っている新潮文庫『赤毛のアン』の訳者あとがきでも触れられていることですが――。
と、ありがたくなったところで、本日は感謝の気持ちを込めて『赤毛のアン』です。なぜ本日なのかは、”おわりに”で後述します。
アンを知っている方もそうでない方も、是非どうぞお立ち寄りください。
◇1 あらすじ
やせっぽちな赤毛のアンは、ある6月の朝、孤児院に別れを告げ、自然豊かなプリンス・エドワード島へとやって来ました。
マシュウとマリラ兄妹に引き取られ、こんな美しいところに自分の家ができるなんて! と、期待で胸がいっぱいのアンでしたが、歳を重ねた二人が望んでいたのは農場を手伝える男の子でした。ところが、おしゃべりで明るいアンをマシュウがとても気に入って……。
アンは二人の愛情に包まれながら、11歳から16歳までの多感な時期を過ごしていきます。
◇2 好きな場面(今回&これまで)
先ほど(土曜日の午後)、わたしの本棚にある『赤毛のアン』を一気に読み終えました。第48章まである長編ですが、知っている話なのに新鮮でおもしろく、ページをめくる手が止まりませんでした。
アンの大げさな物言いに呆れながら、そんなアンのおしゃべりを楽しんでいくマリラの変化に共感し、いつしかマリラ目線になって読み進んでいる自分にも驚きました。
これは『赤毛のアン』の前半、第3章『マリラ・クスパートの驚き』のなかの一文で、二人が引き取る予定は男の子だったと知って泣きじゃくるアンが口にした「ああ、こんな悲劇的なめにあったことないわ」――を受けて思わず顔がほころんだマリラの描写です。
そんなちょっとしたマリラの様子が全編をとおしてチラリとあらわれ、見つけるたびに胸が”じん”ときました。
こちらは、わたしが社会人になってから久しぶりに『赤毛のアン』を読んだ際に心に響いたマリラの胸の内です。初対面のリンド夫人から「この子はおそろしくやせっぽちだし、きりょうが悪いね」とずけずけ言われて、激しい怒りをあらわにしてしまったアンをなんとか諭し、リンド夫人の家に謝りに行った帰り道での出来事(第10章『アンのおわび』)で、わたし愛用の青い手帳に書き留めていました。
マリラに急にすりよったアンが、マリラの固い掌にそっと手をすべりこませて、「家へ帰るってうれしいものね」と話すシーンにもぐっときますが、心をとろかすようなその甘さに気分をかきみだされたマリラが慌てて、いつもの落ち着きをとり返そうと、教訓を一つ持ち出してしまうところも愛しくてぐっときます。
◇3 好きな場面(今まで&ずっと)
これは『赤毛のアン』の冒頭、第2章『マシュウ・クスパートの驚き』のなかで、マシュウがアンに初めて声をかける場面です。
内気で無口なマシュウは、見知らぬ女の子に手違いを伝えることがどうしてもできず、ここは家へ連れて行ってマリラに任せようと決めたあとの言葉。それが「遅くなってわるかったね」――なのでした。
アンとマシュウが出会った章は何度読んでも引き込まれてしまいますが、そんな箇所を下記に少し抜き取ってみます。
グリン・ゲーブルスまで馬車に乗って行く道中、アンの空想とおしゃべりで繰り広げられていくシーンです。
アンのおしゃべりはどれも半ページ近くあるため短く省略しています。
初めて長編の『赤毛のアン』を読破したときも、マシュウがアンのおしゃべりで愉快になっていくところに嬉しくなりましたが、今も変わらず同じように嬉しくなりました。
アンのために一念発起したマシュウが、クリスマスに流行のパフスリーブ(ふくらんだ袖)の服をアンに贈る、第25章『マシュウとふくらんだ袖』は、これまでもこれからも、思い浮かべるだけで幸せな気分になれる”わたしの中の神回”です。
◇4 おわりに
思う存分『赤毛のアン』を語りましたが、当初はあと2項目予定していました。ただ、この2つにはもう少し時間がかかるため今回はここまでとして、残りは趣向を変えて次回、できれば同じ3月中の投稿を目指しています。
3月にこだわる理由は、3月がアンの誕生月だからです。日まではわからなかったので、わたしの誕生日(季節は秋)と合わせて、今回の投稿は3月14日と決めていました。
時々こだわってしまう投稿時間は、『赤毛のアン』が”お蔵入り”を逃れてついに出版となった1908年にちなんで19時08分を目論んでいます。
次回もお立ち寄りいただけると幸いです。