京急の街「京急鶴見」|鶴見駅東口のスナック街はGW明けに元気になるだろうか
GWの初日。
都内まで行くのは遠慮した。
でも少しは出かけたい。
写真撮りたい。
京急を撮らねば。
なんとなく、京急鶴見あたりに行ってみようと、
カメラを持って出かけた。
京急鶴見駅について
京急鶴見はKK29、品川から19分。
京急蒲田でエアポート急行に乗り換えが必要だ。
「鶴見」はJR京浜東北線の駅でもある。
川崎と横浜のちょうど中間あたり。
駅ビルもあり、チョコレートの森永の工場や鶴見川が有名だ。
そして、JR鶴見線という京浜工業地帯を走る電車の乗り換え地点でもある。
JR鶴見駅と京急鶴見駅はバスターミナルを挟んで向かい側。
非常に近い距離だ。
鶴見一体の歴史について調べてみた。
すると、こんなページを見つけた。
とにかくよく調べてあってわかりやすい。
http://touyoko-ensen.com/syasen/turumiku/ht-txt/turumiku-top.html
そんなわけで、まとめ的に鶴見年表を作ってみた。
1868年 明治維新。東京横浜間に位置する鶴見は西洋野菜や果樹栽培が盛んに。臨海部の埋め立て進む。
1872年 新橋横浜間鉄道が開通。同時鶴見駅も開業。東口のみ。
1910年 鶴見川大洪水
1911年 曹洞宗の大本山総持寺が能登から移転。鶴見川を利用して運ばれてきた本山の建築資材をトロッコで運搬するため豊岡通りができる。
1915年 新橋の料亭花月の主人平岡広高、東福寺境内3万坪を借りて児童遊園地「花月園」開設。東洋一の大遊園地といわれた。花月園少女歌劇団は「西の宝塚、東の花月」と評された。
1920年 鶴見駅に西口解説。
1925年 森永製菓鶴見工場完成。
1927年 鶴見が横浜市に編入。鶴見区が誕生
1934年 埋立地への足、鶴見線が全線開通
1945年 京浜工業地帯の中核を占める鶴見は300機以上の米軍爆撃機に襲われ,市街地は一夜にして焼け野原となった。終戦。
1963年 列車と電車三重衝突「鶴見事故」で161名死亡。
2012年 鶴見駅駅ビル「シァル鶴見」開業。
朝鮮動乱による軍需景気から,日本は高度成長期を迎えた。鶴見の丘陵地や田園地帯には次々に住宅が建設された。
大企業の工場が林立する工場地帯から吐き出す煙がまちをおおい,鶴見川は汚れ,一時期,鶴見は公害のまちと化した。
JR鶴見駅東口一体が京急鶴見駅
JR鶴見駅の東口がすなわち京急鶴見駅だ。
JRと京急の間のバスロータリーを抜け、京急のロータリーをくぐる。
すぐにベルロード鶴見(鶴見銀座商店街)がある。
さらにそれを越えて、、、
今回はその中でもスナックや飲み屋がかたまる一角を中心に歩いた。
昭和の風情を感じさせるスナック街だが、GWの昼間だからか、いや、それ以上にきっと「まん延防止等重点措置」の影響で、街はすっからかんとなっていた。
休みが明けても活気づく気配がないのは、先入観だろうか。
落ち着いたらまた訪れてみようと思った。
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