オッパーズのキムチチゲ
先日アメリカに行った際、留学生時代の思い出の数々が蘇ってきて、その中でも寒くなるこの時期によく思い出す、キムチチゲの思い出を今日は綴りたいと思います。
子供の頃、父が仕事の関係で韓国によく行っていたため、食卓には韓国料理がたまに並んでいた記憶があります。キムチは祖母がキムチの素(あの瓶に入っているやつあるじゃないですか、あれです)を使って漬けていたため、毎年冬になると野沢菜とともに食卓に並んでいましたが、私はキムチが大の苦手で、キムチ鍋が夕飯だと知った時の絶望感は今でも思い出します。
(親に大袈裟って言われてたのですが、子供の1日の楽しみって夕飯じゃないですか、そこに苦手なものが出てきた時のテンションの低さって相当です。お母さんごめん。)
そんな子供時代を過ごしたあと、アメリカの大学に留学したわけですが、私が通った大学は韓国からの留学生も多く、留学生の多くは1年目、2年目くらいまで寮に住む人が大半で、アメリカ人のルームメイトが週末になると実家に帰るため、週末はよく留学生同士で集まって遊んだり、旅行に行ったりしていました。
留学当時、私は英語がまだ不十分だったので、大学附属のESLに通い、そこのクラスメイトにも韓国からの学生が多く、自然と放課後一緒に遊んだり、宿題をしたりするようになり、週末に韓国人で集まって夕飯を作って食べているから来ないかと誘ってもらうようになりました。
韓国人の友達達が全員私より年上でそれも男の子という特殊な環境だったことから、友人達に僕たちを「オッパ」(韓国語でお兄さん)と呼べと、今思えば大分ドヤ顔で言ってきたなと笑ってしまいますが、その当時のピュアな私は、そうか年上の男性はオッパと呼べばいいのかと、そしてそんなオッパ達が作る料理はなんだろうなと思い、ルンルンでオッパ達の大半が住んでる寮のキッチンへと向かったのです。ちなみに1人の韓国人の友達には「オッパ」ですが、何人もいる時はめんどくさいのでまとめて「オッパーズ」と呼んでいました。
キッチンへ入ると、「おーのー!!」あの鍋の中に見えるのは、もしかしたらキムチチゲではないかと焦る私。一緒に行ってる友達達はキムチチゲに歓喜の声をあげてる中、テーブルの一番端っこに気配を消しながら座る私。
勝手に気配を消している私と、そんなこと全然お構いなしのオッパーズ。
私の前に湯気をあげている熱々のキムチチゲがサーブされ、ご飯も来て、おかずも来る。せっかく作ってくれたのに「苦手だ」と言っちゃいけないと呪文のように唱えている私の前には、オッパーズがキムチチゲの感想を待ってる顔で凝視ししてくる。もうここは、意を決して食べるしかない私。セーノでスプーンですくって食べたキムチチゲに「え、おいしいかもしれない」と思ったもののいかんせん、キムチをちゃんと食べたことないので一口では味が良くわからない。でも、この「かもしれない」顔をオッパは見逃してなかった。「どう?マシッソ?」って聞かれるので、もう一回すくって食べてみたら、「えー!美味しいじゃん キムチチゲ」となりまして、オッパーズに「マシッソヨ」を連呼している私。オッパーズも「そうだろ、美味しいだろう!みんなで食べるとより美味しいいだよ」と。(オッパーズは私がキムチを苦手だったことを知らない状況だから、食べるのを躊躇してたのが、きっとキムチチゲが熱いから食べるのを躊躇していたんだろうなくらいにしかきっと思っていなかっただろうな) うんうんと頷いて、最後の一滴まで飲み干した私がテーブルの端っこにおりました。
私のキムチ嫌いはなんだったのかと、匂いが苦手でたいして挑戦もせずに苦手だ苦手だと言ってた当時の自分に喝を入れてやりたくなりましたが、オッパーズが一生懸命作ってくれたキムチチゲのおかげで、私はその後キムチチゲの虜になりまして、週末の夕飯が来るたびに、今日はキムチチゲかなーって電話で事前に夕飯のメニューを聞くという暴挙にでており、オッパーズには韓国料理は色々あるから今日は違うものだよ!!って言われ電話を切られるという日々を送っておりました。
卒業後、ソウルでオッパの1人にあった時に、私はそういえばみんなとキムチチゲを食べるまでは、キムチが苦手だったんだって話したら、「あんなに好きだ好きだって食べてた人が嫌いだったの?!、びっくりするわー」ってオッパも笑っておりました。
何事も先入観をすててまずは挑戦しないといけません、ということをキムチチゲからも教わりました。オッパーズありがとう!
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