さも自負の善人の如く
人間は、清浄と汚濁の世界に生きている。人間は汚す。しかし人間は清めることも出来る。汚すのは簡単。汚れるのはあっという間。なぜならば、放っておくだけでも汚れ続ける。これは人間が生きているからだ。一方、清めるのは簡単ではない。そして清浄の状態になるには余程の時間と労力が掛かる。自然や動植物たちは、この実相を理解している。であるから無理はしないし、自分の立場や役割を弁えて生きている。なのに人間は否。自分で汚し壊し荒らしていることを意図して行い続けている。最も厄介なことは、「私は汚してません!」「俺は壊してないよ!」「私たちはただ普通に生活しているだけ…誰が荒らしたの?早く片付けなさいよ!」と、さも自負の善人の如く自分は関係ないとほざく。己、生きているだけで、汚し壊し荒らしていることを理解できない程に良心が麻痺をしてしまったのか。この無意識の汚濁が、環境を社会を地球を宇宙を破壊し、結果として自分自身を生き難くしていることを推して知るべし。では、人間はどうあれば良いのか。汚れや錆びは自分の身から出ていることを認め、せめて自らが汚した分を清め、壊した分を直し、荒らした分を片付ける日々を優先して生きるしかない。「何を!こんなに一生懸命に毎日働いて忙しくしている中で、どこにそんな時間があると云うんだよ!そんなことをいちいちやっている暇なんて無いんだよ!」「え?誰かがやってくれるんじゃないの?そういうもんだと思ってた…」「お金がかかるけど、ロボット買って、自動的にやってもらうよ。そういう時代でしょ?私には、他に山ほどやることがあるのよ。邪魔をしないでほしい…」。身心そして環境の汚濁は、全て人間自らが行ってきたこと。このツケは、一朝一夕には払うことが出来ない。なぜならば清浄は自然の法則によって一定の時間を掛けて行われるからだ。宇宙は人間のご都合で動いていない。拙速にことを進めようとすればするほどに、逆の力が働くということをいつになったら気付けるのか。もはや性根を入れ替えやり直せるのは最後のチャンスと思え。
そのことを肝に銘じ、日々の身心と身の回りの清浄を怠らず、社会の現状を鑑み、もう少しその範囲を身近なものから広げ、更にペースを上げていきたいと思います。
有難うございます。
(画像は東京湾に発生する青潮)