この問題は永遠に解決できない。
「鶏が先か、卵が先か」。この問題に対し、人間界はまだ論争を続けている。科学では、一旦、ごく最近になって、「卵より鶏のほうが先に誕生した」と結論付けている(イギリスの研究チームは、OC-17と呼ばれるたんぱく質が卵の殻の結晶化を促進させる働きがあることを突き止め、このたんぱく質は鶏の卵巣のなかにも存在し、これがなければ卵ができないことも判明した、としている)。しかし、かつて「最初」の鶏がいた以上、それはその鶏たる由縁を規定した卵から生まれたのではないかという(他の鳥類は卵の形成に別のたんぱく質を利用しており、OC−17 の進化は卵の進化と同時に起こったのではないとし、鳥類が爬虫類から分岐する以前より卵の形成に使われてきたたんぱく質は別にあり、OC-17 はそれを発展させる形で出現しうる。即ちOC-17がなくても卵はできる、としている反対意見の)点については、決着が付かない。この真理は、人間の科学では証明出来ない。人間界では、証明出来ないものは「正」としないという通念があるだけに、この問題は永遠に解決できない。堂々巡りのまま。人間の通年では諮れないもの、見えないもの、その不思議さが実在するということを、感性によってどれだけ受容し、認識出来るかどうかということだ。このことは、人間の初発にも関わる。人間は何からどのようにして生まれたのか。人間とは何か。人間が生まれた目的は何なのか。「鶏が先か、卵が先か」の問題を含め、壮大な超大宇宙における連綿と続く生命の在り様を、人間の極小の断片的な知識や物の目でつないだところで、その真実の真実は見えてこない。人間は、解からない部分があるからこそ、謙虚に、素朴に、素直に物事を捉え感じ、探求と学びを持って生涯生きることを求められているということだ。
そのことを肝に銘じ、物事を大局に捉え、真実を理解し、活用し、実践できるよう日々精進して行きます。
有難う御座います。